共依存親子の原因には「思い込み」がある

親子の共依存とは?

共依存とは何でしょうか?

共依存とは「ある生き方」のことです。

「自分自身を後回しにして他人のために生きる」というのが共依存の人の生き方です。

では、親子の共依存とは何でしょうか?

それは、子どもが自分自身のことを後回しにして、親の問題解決のためにのめり込む生き方のことです。

あるいは親が、配偶者・娘・息子の問題を解決するために我が身を忘れて尽力することです。

親の問題を解決するために、子どもが自己犠牲的な生き方をしてしまう。

または親が、家族の問題解決のために生きる。

・・・これが親子における共依存の姿です。

では次の章から、具体例をあげて、親子の共依存について説明しましょう。

なぜ親子の共依存は起きるのか?

ある家族では、飲酒にふける夫の世話に妻がかかりっきりになっています。

会社から帰ってきた夫が、お酒を置いている戸棚の前で叫びます。

「俺が好きな芋焼酎はないのか? 買っておけよ!」

「俺はお前らのために会社で働いているんだぞ!」

妻が夫に謝ります。そして日本酒をグラスに注ぎます。

夫は焼酎でないことが気に食わず、手に持っているグラスを投げつけました。

妻は、グラスの破片を片付けながら「明日は必ずスーパーで芋焼酎を買わなければ」と思います。

こうして飲酒にふける夫の世話のために、妻は生きるのです。

「旦那のお酒のこと」ばかりを妻は考えているのです。

そうして夫の飲酒問題にのめりこむことで、妻は自分を見失っていきます。

妻は、夫のために自己犠牲的な生き方するという共依存状態になるのです。

そんなお母さんを、娘さんがじっと見つめています。「私は、お母さんを助けなければいけない」と、娘は思うのです。

お父さんのお酒の世話のために必死になっている母親を、娘はなぐさめるのです。

「私がいないと、お母さんは倒れてしまうかもしれない」このように娘は思います。

旦那の世話で疲れている母親を支えるために、娘は必死になります。

家の外で友達と遊んでいても「お母さん。大丈夫かな」と母親のことが気になるのです。お母さんと「お父さんの飲酒」のことばかり考えることで、娘は自分自身を見失います。つまり娘もまた共依存になっていくのです。

夫の飲酒のことで、お母さんは疲れています。そんなお母さんは、娘にこんな期待をします。

「お父さんのことで疲れている私のことを、娘に癒してもらいたい。

たまには娘も、お父さんのお酒の相手をしてほしい」

疲れた母親は、娘に結婚生活の不満を娘に話します。娘も母親を支えるために愚痴を聞きます。

そうなると母親は、娘に依存していきます。母親は、娘に頼り切るのです。

娘も「お母さんのそばに私がいないといけない」と思います。

そうなれば母親と娘は、共依存状態に囚われてしまいます。

母親は、旦那の飲酒問題の解決のために自分を犠牲にしました。

娘は、そんな母親をなぐさめるために自分を犠牲にしたのです。

母親も娘も飲酒という「家族の問題」解決のために身をささげたのです。つまり「飲酒問題」をめぐって母親も娘も共依存状態になったのです。

家族に問題があるところ、親子の共依存は起きやすいのです。

しかしたとえ家族に問題があっても、親子の共依存は起きません。

共依存になるのは「ある思い込み」があるからなのです。

その思い込みについては、次の章で説明します。

共依存になるのは「ある思い込み」があるから

では、どうして「家族の問題」を解決するために、家族は頑張ってしまうのでしょうか?

それは以下の2つのことを思い込んでいるからです。

  1. 「問題を抱えた人を回復させるのは私の責任だ」
  2. 「他人の問題を私は解決できる」

こうした「思い込み」によって家族は、問題をかかえる家族のために頑張るのです。

「夫のお酒の問題は私の問題だ。その問題を私は解決できる」という思い込みによって、「夫の飲酒問題」解決に妻はのめりこんでいきます。

「家族の問題は、私の問題だ。その問題を私は解決できる」という思い込みがあると、共依存になるのです。

たとえば父親に暴力をふるわれる母親に対して、「お母さんを守るのは私しかいない」と決意した娘がいたとします。

「自分はお母さんを守らねばならない。それは自分にしかできない」と、娘は思い込んでいるからこそ、決意してしまったのです。

ですが、その思い込みは正しいでしょうか? いいえ。その思い込みは正しくはありません。

父親と母親の夫婦関係に対して、娘である子どもは責任を背負えないからです。

父親と母親の関係における問題解決の肩代わりを、子どもは出来ませんし、やってはいけないことです。

そうなのです。やってはいけないのです。なぜなら夫婦の問題は、かえって悪化するからです。

その理由は次の章でお話しましょう。

家族の問題解決の肩代わりをしていませんか?

家族の問題解決のために、頑張るのはやめましょう。

こんなことを言うと、あなたはこう思うかも知れません。

「困っている家族をほっておくのか?」

「家族は助け合うべきではないのか?」

しかしながら、あなたが家族の問題を肩代わりすると、ますます問題が肥大化するのです。

たとえば、父親が多額の借金を抱えていたとしましょう。その借金は、父親のギャンブルが原因だとしましょう。

その借金問題・ギャンブル問題は、父親のものです。

「この問題を解決する責任は自分自身になる」と父親にわかってもらうことで、問題は解決します。

まずは当事者に「問題解決をするのは私だ」という自覚があってこそ、その問題は解決するのです。

そうではなくて、本人に代わって誰かが問題解決の肩代わりをしてしまうと、問題は解決しません。

解決しないどころか、借金は積み重なり、ギャンブルをやめられなくなるのです。

つまり父親の問題の肩代わりを誰かがやってしまうと、父親の借金・ギャンブルへの依存を助長させるのです。

他人の問題解決を肩代わりすることで、かえって問題を大きくさせてしまう人のことを、イネイブラーといいます。

イネイブラーとは、家族の問題解決を肩代わりすることで、問題を助長させてしまう人のことを言います。

たとえば、アルコール依存症の夫が深酒をして、食器を壊した。

酔いがさめて壊れた食器を見ることで「俺は、お酒をやめないといけないな」と夫は自分の過ちに気づくのです。

しかし壊れた食器を片付けて綺麗に掃除をしてしまうと、夫は自分の過ちに気づけません。

つまり壊れた食器を妻がかたづけると、夫は反省しないので飲酒問題は長引くのです。

このように家族の問題解決を他の家族が肩代わりするのは、適切ではないのです。

共依存から抜け出すために―「家族の問題は家族は解決できない」ことを覚えておきましょう

ここからは、親子の共依存で悩んでいる娘さん、息子さんに向けてお話をします。

「困っている親を子どもが助けるのは当然だ」

と思っている限り、あなたはあなたの生き方を貫くことはできません。

つまり「個人」として生きることは出来ないでしょう。

苦しければ「娘」という役割をやめてもいいのです。

家族がしんどければ「息子」という役割をやめてもいいのです。

「娘」「息子」というのは役割のことです。

役割のせいで、あなたがしんどくなるのは、本当はおかしいことなのです。

親の問題解決のために自分を犠牲にするのは、間違っています。

しかし「息子のおまえがしっかりしないと家族はどうなるんだ」

「娘のあなたが、お母さんのそばにいてあげなきゃだめだよ」

といった具合に他人は、あなたを「息子」「娘」という役割に縛りつけるかも知れません。

それでも、あなたは役割を捨てて「あなた本来の生き方」を歩んでもいいのです。

もっといえば「家族の問題」は家族では解決できません。なぜなら家族のメンバーはもうすでに「問題」に囚われているからです。

「問題」に囚われている家族が、家族の「問題」を解決するのは無理な話なのです。

ましてや前述の通り、「解決しようとしたら余計に問題はこじれる」のです。

私自身、親がかかえる「問題」に子どものころから手を焼きました。

ましてや親子関係が逆転していた家族でしたので、自分を犠牲にしてまで問題解決のために私は身を削ってしまいました。

しかしながら、親はどんどん問題を作り続けました。どうして親は、問題を作り続けることが出来たのでしょうか? その理由のひとつが、親の問題の尻ぬぐいを私がやってのけるからです。だから親は、問題を作っても平気なのです。自分が作った問題を、息子の私が必ず解決してくれるからです。

そしてまた、親の問題を放置することを私は出来ませんでした。親のことが心配だったからです。母親も私に依存しました。

つまり親子の共依存に囚われた生き方を私もしてきたのでした。

あなたが家族の共依存から抜け出すためには、家族の「問題」「悩み事」「心配事」から離れることです。

そのためにも「家族の問題に対して責任を負うことをやめる」と、決意することです。

「親の問題を私は親に返します」こうした決意があってこそ、あなたは自分自身の生き方を貫くことが出来ます。

しんどい親との共依存状態から抜け出すために、誰かに助けてもらいたいと、あなたが願っているならば、私はご相談に応じます。

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米国催眠士協会認定ヒプノセラピスト

わたなべいさお