見捨てられ不安の正体・・・つまりその不安の背景について、お伝えいたします。
不安の背景には、次の3つがあると考えられます。
- 自分の存在が希薄に感じる
- 抑圧された感情
- 自分の人生の決定権の喪失
これらの背景を変化させることが、見捨てられ不安から抜け出す道筋なのです。
それでは、これら3つの背景について解説していきます。
自分の存在が希薄に感じる
見捨てられ不安に悩む相談者さんは、こんなふうに私に胸の内を明かされます。
「彼に激しく嫉妬を感じて、束縛をしてしまう。とても苦しい。
この前は、大きな喧嘩をしました」
「なにげない恋人の言葉やふるまいで、心が揺れてしまう。
『私は嫌われたのかな』『私ってここにいていいのかな』って、思ってしまう」
「彼の言うことはなんでも聞いてきた。
お金も貸した。浮気もされた。
けれど、別れることになってしまった。今の私は喪失感に苦しんでいる」
「自分のことなんか誰にも分かってくれない、この考えがずっと私の中にあるんです。だから恋人を信じられないのです」
このように見捨てられ不安とは「寂しい」という一語では表現しきれないものです。
たとえ恋人がいてくれても、、、
恋人から愛されていても、、、
「縁を切られるのではないか」
と、不安にさいなまれるのが見捨てられ不安の特徴です。
私自身も悩み抜いた見捨てられ不安―。
「私はきっと捨てられる。ひとりぼっちになる」
と考えてしまって、居ても立ってもいられなくなる。
不安が足元から這い上がって来て、生きた心地がしなくなる。
見捨てられ不安って、とっても苦しいですよね。
では、どうすればいいのでしょうか。
依存できる人をいっぱい作りますか?
あなたを溺愛してくれる恋人をつくりますか?
愛される人間になれるよう自分磨きをしますか?
しかし、それでも「私は見捨てられる」と不安になりませんか?
見捨てられ不安は「縁が切れていなくても」感じるからです。
たとえ「依存できる人」がいても「溺愛してくれる恋人」がそばにいても「愛される人間」になれたとしても、見捨てられ不安を感じるから。
なぜなんでしょうね。
いくら彼氏から「愛している」と言われても、「メールが最近すくない!」と不安になるのは、どうしてでしょう。
それは「私は価値がない」と思い込んでいるから。
「私は価値がない」と思っているから「どうせ、いつかは、こんな私なんて見限られて捨てられる」と考えてしまうから見捨てられ不安になるのです。たとえ恋人がそばにいてくれていても。
つまり、見捨てられ不安とは「自己認識」に原因があるのです。
自己認識とはなんでしょうか?
それは「自分が自分に持っているイメージ」のことです。
見捨てられ不安に悩む人の自分自身へのイメージは、とても希薄なのです。
見捨てられ不安とは「私という存在が希薄に感じる」ことで自覚されるからです。
自分はここにいてもいいのかな。自分なんていなくてもいいんだ。
・・・こうした「自分の存在が希薄に感じる」という感覚が見捨てられ不安の背景にあるのです。
あなたのなかにある「抑圧された感情」
人は、悲しみ、切なさ、寂しさを感じます。
ですが、これらの感情が誰にも受け止めてもらえないと、人は感情を心に埋め込みます。
感情を抑圧するのです。
では、抑圧された感情は消えてなくなるでしょうか?
いいえ。消えることはありません。
見捨てられ不安を強く感じてしまう方は「否定的な感情」を心に埋め込み、抑圧しています。
大人になっても「親に愛してほしかった。けれど愛されなかった」という心の傷を抱えたまま、生きているのです。
さらに大人になってから失恋、離婚、死別、裏切り……次々と悲しい出来事を経験していきます。
「悲しみ」「寂しさ」「怒り」「孤独感」「むなしさ」という感情が、どんどん心に押し込まれていきます。
まるで心は風船のようにはちきれそうです。
どんどん辛い感情が「心の風船」にたまっていきます。
今にも風船は爆発しそうです。
そうなれば、ちょっとした出来事でも刺激になって敏感に反応してしまいます。
たとえば、恋人からのメールが少ないことにふと気づいたとしましょう。そうなると・・・
「恋人は私から立ち去っていく!」
「私はひとりぼっちになる!」
「私は見捨てられるんだ!」
・・・こうして風船はバーンと爆発してしまいます。
一気に、見捨てられ不安があふれ出てくるのです。
つまり、見捨てられ不安の背景に「抑圧感情」があるのです。
自分の人生の決定権の喪失
見捨てられ不安の背景に「自分の人生の決定権の喪失」があります。
自分の人生の決定権がないと、「私は何があっても大丈夫だ」とは思えません。
「私は失敗しても何とかなる」とは、思えないのです。
よって見捨てられ不安に振り回されることになります。
わかりやすい話をしましょう。
「たとえ恋人が私から立ち去っても、当然、寂しくなるだろう」
「恋人が私から立ち去ったからと言って、また会って話し合いをすればいい。
お互いの気持ちを確かめ合えばいいのだから」
「それでも恋人が私から離れていったとしても、世界が終るわけではない。
恋愛が私のすべてではないからだ」
・・・このように自分の人生の主導権をしっかり握っているならば、不安感に振り回されずに冷静になれるでしょう。
しかし、人生の主導権を喪失していると、そうもいきませんよね。
「恋人がいなくなると、私はもうダメだ!」
「恋人に愛されないと、私はどうすればいいのだろう」
といった具合に、自分の人生の主導権が他人(恋人)にあると、ちょっとした人間関係の変化でも不安にかられます。
人生の主導権を自分が握っていないと、「私は他人次第」「私は恋人次第」になるので、不安にふりまわされます。
どうしてそう言えるのか?
たとえば、人生をクルマの運転にたとえて説明しましょう。
人生の主導権がないとは、クルマの運転を誰かに任せているみたいなものです。
それはまるで他人が運転するクルマの後部座席に座らされているみたいなものです。
クルマの行先は不明です。
どこへ連れて行かれるかもわかりません。
次に何が起きるかもわかりません。
思い通りにならない状況に遭遇しても、自らがハンドルを握って乗り切ることはできません。
なのでいつも相手次第です。
状況次第です。
ちょっとでも相手や状況が変わると・・・すぐに不安になります。
恋人のメールの数が少しでも減ると、不安になるのはそのためです。
恋人との別れを予感して苦しんでしまうのは、自分の手でハンドルを握って「人生のクルマ」をドライブしていないから。
あなたが見捨てられ不安に振り回されている時とは、自分でクルマを運転していない状態なのです。
だからフラフラになって、生きた心地がしなくなるのです。
自分の手でしっかりとハンドリングをしていないから、どんどん暗い谷底に落ち込んでいく感じがするのです。
ですから、ハンドルを自分で握ってドライブしていく必要があります。
「私はだいじょうぶだ。
私は私でいいんだ。
何があっても私でいられるんだ」と。
すなわち自分の人生の主導権を取り戻す・・・これが見捨てられ不安の克服にとって不可欠なのです。
このページの初めに「私は価値がない」という自己認識が見捨てられ不安の背景にあると、お伝えしました。
「私には価値がない」と思いこんでいると、自分の人生の主導権は取りにくいでしょう。
そして、見捨てられ不安に悩む人の自分自身へのイメージは、とても希薄なものでしたよね。
自分という存在が「とても希薄」だから、「私は何があってもだいじょうぶだ」って思えません。
さらに何か不安にさせる出来事があるたびに、「抑圧された感情」が一気にあふれだします。そして不安を大きくさせます。
見捨てられ不安の3つの背景である、
- 自分の存在が希薄に感じる
- 抑圧された感情
- 自分の人生の決定権の喪失
これらの背景は、つながっているのです。
私は心理セラピストとして、見捨てられ不安を解決するための心理セラピーを開いています。
その心理セラピーのくわしい内容については、以下のリンクのページをご覧ください。
米国催眠士協会認定ヒプノセラピスト / 心理セラピスト
わたなべいさお