見捨てられ不安を抱える方の相談事例
相談事例をあげながら見捨てられ不安を深く見ていきましょう。
(内容は複数の相談事例をミックスして再構成したものです)
あなたにも思い当たるところがありますでしょうか?
見捨てられ不安―相談事例1 「お母さんに見捨てられたらどうしよう」
39歳の会社員Mさんは、携帯の着信履歴を見るたびに追いつめられる気分になります。
今日は8件もありました。すべて母親のAさんからの着信です。
電話があるたびに胸が締め付けられる思いがします。
1年前にMさんは実家を離れてひとり暮らしを始めました。
それと同時に母親からの電話が鳴りやまなくなりました。
そのような調子ですので、
Mさんが「ひとり暮らしをしたい」といった時、母親はとても動揺しました。
母親の慌てぶりがMさんの心にからみつく感じがして、今まで母娘の関係が重たくのしかかりました。
ひとり娘のMさんは母親に監視されて生きてきました。
食べるものから着るものまで、家に帰る時間から、誰と友達になるかまで、母親からいちいち指示されて育ちました。
でも、その方が安心してもらえるので、言われるがままだったのです。
だけどMさんが大学生になってもどこへ行くのか、誰と一緒なのか、何時に帰るのか、母親から聞かれるのです。
門限を過ぎて帰れば母親の叱責が待っています。
「こんな遅くに帰ってきて。心配させないでちょうだい」
「夜遅くに帰ってくる娘がいることが近所の人に知られたら恥ずかしい。それくらいのこと私がいわなくてもわかるでしょ!」と、叱られるのです。
母親の大きな声に胸が締め付けられます。そして「申し訳ない」と思うのです。
「ごめんね。お母さん」といってやり過ごすのです。
しかしMさんはこうも思うのです。
「このままでは恋愛もしづらい。年齢を思えば結婚も気になる」
ついにMさんは実家をでることを決意したのです。
けれど、Mさんは家を出た後の父親と母親のことが気になるのです。
むかしから仲の悪い両親は毎日のように喧嘩をしています。
父親と母親が互いの親族をののしり、親族を巻き込んだ問題が家族に吹き荒れるのです。
Mさんは子どもの頃から、いがみ合う両親の仲をとりもつ「調整役」でした。
だから「自分が家を出ると両親はどうなるだろう」と心配なのです。
実家を出たいことを母親にいうと、
「家を出るのはお母さんが嫌いだから? お父さんが嫌いだから家を出るの? どっちなの!」と、母親に詰め寄られました。
Mさんは身を切られるかのような感覚に襲われました。
それでもMさんは実家を出たのです。
そして案の定、母親からひっきりなしに電話がかかります。
「お父さんと一緒の暮らすのは耐えられない」と、愚痴をこぼされるのでした。
そして突然、母親が家にやってきて「私から洗濯を奪わないでちょうだい! 私はこれから、どうやって生きていけばいいの!」と、Mさんに向かっていうのでした。
それを聞いたMさんは「母親がいる限り、自分には自由がないんだ」と力を失う感覚になりました。
その母親のAさんには成育歴に事情がありました。
Aさんが生まれた家庭は安心にはほど遠いものだったのです。
Eさんは幼い頃、父親を戦争で亡くしました。なので顔を覚えていないそうです。
実母はある男性に強引に迫られて再婚をしたのですが、その男性は家族に暴力をふるう人だったのです。
ほどなくして義弟が生まれたのですが、Aさんは義弟からも暴力をふるわれ、それに耐えてこられたそうです。
ある日とても悲しく衝撃的なことが起きます。
実母が義父の暴力によって大怪我をして、それが元で亡くなられたそうです。
Aさんは激しい暴力を身近にして生きてきたのです。
そういう母親の悲しい生い立ちを幼い頃からMさんは聞いてきました。
Mさんはお母さんが好きでした。お母さんの期待に応えたい。そう思って頑張ってきました。
けれど、毎日の電話に胸が押しつぶされそうになり、「生きる気力」まで奪われる感じがするのです。
そう思いながらも、電話に出ない自分は「お母さんを突き放している」ようにも感じるのです。
いまでは「結局は、お母さんが亡くならないと私は恋愛も結婚もできない」とMさんは人生をあきらめています。
見捨てられ不安―相談事例1のポイント解説
この事例ではお母さんに強い見捨てられ不安があることは、すぐに理解できるでしょう。
しかしながら、娘さんにも「お母さんに見捨てられたらどうしよう」……という恐れがあるのです。
見捨てられ不安が強い人(このケースだと母親ですが)相手をコントロールする傾向があります。管理することで自分の心を満たそうとするのです。それも悪気もなく無意識にしてしまうのです。
一方、コントロールされた側は、相手の期待と要求にこたえていく過程で、自己を喪失することになります。おかげでMさんは将来をあきらめてしまいました。
いままでMさんはお母さんの期待にこたえてきた。
お母さんとの関係はMさんの人生そのものです。
Mさんは「母娘の関係」に同一化しています。
この関係を手放し解消することは、お母さんの期待に背き、裏切ることであり、ならば母親から嫌われるかもしれない。Mさんが恋愛や結婚をあきらめてしまったことに、母親に見捨てられる恐れがあるからです。
「お母さんはそう思うのですね。でも私は自分の人生を生きます」となれないのは、いままでの母親との関係を失うことが不安に感じるからです。
そうした見捨てられ不安を解消しないで、一人暮らしを始めたMさん。よけいに母親の言葉に心が揺れてしまうのです。
よく「親子関係がしんどければ家を出て親から離れるべき」というアドバイスがよくなされます。
「親と縁を断ち切る」「連絡も断てばよい」という主張もあります。
家を出たければ出てもいいでしょう。
しかし親と離れれば解決するほど親子関係の「もつれ」は単純ではありません。
思考のパターンや感情の癖が過去の親子関係に基づくならば、距離を置いても同じだからです。
親とは概念上の親なのです。「親とはこういうものだ」といった概念が頭の中にしみこんでいるわけです。
いわば頭の中に親が棲んでいるのです。
この概念における親との関係を変えないで親と離れても、苦しみから逃れられるものではないです。
親と離れて生活しても、将来の展望が見えず、孤独にさいなまれて苦悩がやまない方は大勢いるのです。
見捨てられ不安―相談事例2 「嫉妬と怒りの裏にある見捨てられ不安」
Kさんは主任として部下を指導する立場にありました。
別のグループのリーダーにG主任がいました。
KさんとG主任は同期でして、おたがい友人のように仲が良いのです。
そして同じ主任として励まし合う関係でした。
でも、ゆっくり話すことが最近なくてKさんは寂しさを感じていました。
そんな矢先のことです。
「ある光景」にKさんは強く嫉妬したのです。
Kさんの部下の数名が、G主任と愉快に話しているのを見たのです。
笑いあいながら恋愛の話に花を咲かしているのを何度も見るにつけ、無性に嫉妬心がわいてきて止まらなくなりました。
その嫉妬がだんだん怒りに変わって、いつまでも怒りがジンジンと頭の中で居座るのです。
「どうして私じゃなくてG主任のところに行くの! 私だって話ぐらい聞くわ!」
「じゃあ、アナタも会話に入れば?」……と、頭のなかで天使がささやきます。
それはわかっている。けど。できないのです。会話の輪に入りたいけど、入れない……そんなもどかしさを感じるのです。とにかく憤怒の炎は激しくなるばかり。
「私の考え方が悪いんだわ」とKさんは思いなおします。
自分に嫉妬と怒りをもたらす「考え方」を振り払うために帰り道、ファミレスで過ごします。
……キャッキャした笑い声、わたしには決して見せない部下の若々しい表情……反復する記憶がKさんを怒りに狂わせます。
「どうせ私なんてマジメだし、仕事にきびしい人間。恋バナなんて似合わないよね」
「どうせ私なんていらないんでしょ。仕事やめたくなったわ」
ふと、そんな想像をすると「じゃあ、どうやって生きていけばいいの?」と足元から不安が這い上がるような感覚になります。
「そうだわ。私なんて仕事ばかりで面白みのない人間。
どうせ私なんか部下から『つまらない人』だと思われているはずだわ」
憤怒と不安の交差。
その交点でKさんは自分をひどく責めるのでした。
実は、Kさんは小学生の頃にも同じような体験をしていたそうです。
また妻子ある男性と付き合っていたとき、こんなことがありました。
「どうせわたしなんて! 別れたいです!」と、いきなりメールで切り出したそうです。
「小学校の入学式のニュースを見て……あ、彼はわたしの知らないところで、お子さんの入学式に参加して楽しくしてるんだわ……。そう、ふと想像すると、結局わたしには絶望しかないんだって。
そしたら、だんだん腹が立ってきて、気づけば別れのメールを送っていました』と、Kさんは話すのです。
そして、こうも話されたのです。
「わたしのお母さんはお姉ちゃんばかり可愛がった。
わたしはお酒ばっかり飲むお父さんが嫌いで。
お酒を取り上げるお母さんとお父さんが喧嘩ばっかやるウチが嫌いでした。
お父さんはわたしをかわいがったけど、お酒の匂いがして嫌でしたね」
幼い頃の家族の様子を、やや投げやり気味に語られるのでした。
見捨てられ不安―相談事例2のポイント解説
「私は嫉妬深い」と自覚しているけど、何が原因かわからなかった。けど、見捨てられ不安が原因だったのです。
それも過去の家族関係において蓄積された「内なる不安」が呼び覚まされた形であらわれたのです。
ではなぜ不安が嫉妬を呼び、ついには怒りに至るのでしょうか?
不安と怒りであれば、エネルギーが強いのは怒りの方です。
不安のままでは前進できません。その際、怒りの感情を使って人は自分に力を与えることをするのです。
強い怒りの奥には深い悲しみがあるのです。
見捨てられ不安―相談事例3 「いつも私ばかり頑張ってしまいます」
Sさんは自分の弱さが他人に知られることを恐れてきました。
そして『自分がどう見られているか』と、常に値踏みされている気がしてならないのです。
言いたいことを言えば、嫌われるかもしれない。嫌われたらひとりぼっちになる。
値打ちのない人間だと思われたら、もうおしまいだ。居場所はなくなる。
そうなれば仕事を失う。食べていけなくなる。そして人生が終わる……そこまで最悪の状態を想像してしまうのです。
だから、思ってもみないことを言って相手の意見に合わせてしまう。ときには嘘をつくこともあります。
たとえば、「できない」のに「できます」と発言してしまいます。断ることなんてできません。
Sさんは自分自身の業務だけで精一杯です。
なのに「部下の面倒を見てやってくれよ」「ちょっと他の部署のヘルプをしてやってくれ」といわれると、「わかりました」と引き受けてしまいます。
「お前にしか頼めないんだ」この言葉に弱いのです。嬉しささえ感じるから。
本当は断りたいのにどんどん仕事が回ってきます。
ついには、室内の蛍光灯をかえることまで頼まれる始末。
会社内で、Sさんは「いい人」といわれています。
社員からの期待に応えたいSさんは今日も夜遅くに退社します。心身はすでに疲れ切っています。
見捨てられ不安―相談事例3のポイント解説
程度の差はありますが、他人に認められたら嬉しいものです。
認めてもらうために他人のお世話に励むことはあるでしょう。
しかし、何のために他人から認められたいか? ここが重要です。
Sさんのように自分の価値を低く感じ、他人に認められない自分には価値はない、と信じていたらどうなるでしょうか?
この事例のように、心身を疲弊させても他人の期待と要求に応えようとします。
「私には価値はない」「私の価値は他人が決める」といった考えをもっていたら、どんな考え方につながるか?
「私に価値がないことが暴露されたら、見捨てられる! 食べていけなくなる。人生が路頭に迷うことになる!」
と、不安を感じることが多くなります。自己決定もしづらくなるでしょう。
当然、相手の要望を断ることができません。要望に応えることで自分の存在が保証される気がするから。
これが「いつも私ばかり頑張ってしまう」原因になっています。
ここまで、強い見捨てられ不安がもたらす「強い怒り」「嫉妬」「無価値観」「自己犠牲」「コントロール」などをとりあげてきました。
いかがでしたでしょうか?
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