アダルトチルドレンだった私が生きづらさを手放すまでに気づいたこと

アダルトチルドレン 生きづらさ

アダルトチルドレンとは?

アダルトチルドレン(AC)の概念を初めて聞いたとき、私は妙に胸がざわつきました。

私はもうずいぶん大人なのに、まだ親の影響を受けているのかもしれない——そんな感覚でした。

アダルトチルドレン(AC)とは、成長過程で家族関係に起因する傷つきや影響を受け、それが大人になっても生きづらさとして現れている人を指します。

私はACです。幼いころから家庭で孤立していました。ずっと我慢をさせられてきました。親が定義する「わたし」を生きてきた私は、自分を見失っていました。

つまり自分の気持ちに率直になれず、言いたいことが言えずに育ったのです。
これが大人になってから、生きづらさに苦しむことへと発展したのです。

なぜ「生きづらさ」を抱えているのか

私の場合、ずっと『他の人みたいに生きる』ことが難しかった。

他の人ができることを私もしたい。でも、できない。

その理由もわからない。ただ他人が怖い。自分を出すのも怖い。そんな日々が続いていました。

小学生の私には友達がいなかった。私という存在がみんなから認識されていなかったのを覚えています。

けれど今でもはっきり覚えているのですが、ある日のこと、みんなの前で歌いながらダンスをしたのです。

そしたら、それがウケたのです。そこで手ごたえを感じた私は、道化師になることでみんなと繋がるすべを知ったのです。

これは大人になっても続きました。道化師の私をからかう人、軽く見る人は当然いましたから、生きづらさから抜け出せずにいました。

でも私は「みんなに喜んでもらえる人」という道化師のカードしかなかった。だから、対等な人間関係を作れなかった。

だけど、私にはこのカードが唯一無二と信じていたので、必死に周囲を喜ばす役割を演じていたのです。

家庭で身についた「見えないルール」

私は親の顔色をうかがう子どもでした。
親を怒らせてはいけない。不機嫌にさせてはいけない。

なので「泣いてはいけない」「甘えてはいけない」「親のごきげんをとる」——それが生きる術でした。

そのような家庭で身についたルールは、大人になっても手放せなかったのです。

見えないルールに気づき、それを「自分のものではない」と気づくまでに時間がかかりました。

なぜなら「ルール」が内面化していたからです。つまりその「ルール」こそが唯一私の価値観だった。

当然、生きづらくなります。
でも「ルール」を守る以外の生き方を知らなかった私は、いつまでも苦労したのでした。

大人になってから「心のクセ」で苦しむ

何かうまくいかないとすぐに『自分が悪いんだ』と思ってしまう。

人と親しくなりたい。でも、過剰に気を使ってしまう。だから家に帰るとどっと疲れてしまう。

人に気を使う。気持ちを抑える。弱みを見せたくない。

そういう考え方のクセが、生活のあちこちに顔を出していました。

楽しみたい。でも楽しめない。

外出先で遊んでいても「ウチの母親は今、なにしてるんだろう」と家族のことが気になってしまう。

「親が楽しんでいないのに自分だけ自由でいいのか?」と考えると、欲求がしぼんでしまう。

自分が何をしたいかわからない。だから楽しめない。苦労ばかりする。親の問題の処理をさせられる。

こうした状況がずっと続くと、生きることが味気ないものに思えてきます。

そして将来にも希望を持てなくて、親にからめとられた自分しかリアリティを感じられない。

私には「生きている実感」はまったくなくて、ただわけもなく苦しい。
生きづらさのせいで心にぽっかり穴が空いている。

これが私の半生でした。まさにアダルトチルドレンという一本道を、ひとり孤独に歩かされていたのです。

生きづらさは「あなたのせい」ではない

でも今は思います。これは「私の性格のせい」じゃなかった、と。

では、なんのせい?  それは親たちの期待と要求にずっと従ってきたから。

自分の欲求を抑え込んで、親たちの欲求を満たすことばかりしてきた。だから苦しいのだ。

それに気づいたとき「自分は親のせいで、家族のせいで苦しみ生きてきた」と認めたのです。

それまでの私は「私が悪いんだ」と自責感でいっぱいでした。

過酷に自分を批判して責めてしまうのです。

でも、よく考えれば自分はなにも悪いことをしていないのです。

私は親のいいつけを良く守る「いい子」でした。

「いい子」である私は、そのまま成人しました。
人から嫌がらせをされても、理不尽な扱いを受けても黙って従うのです。

何者かに従属する生き方しか知らなかった私でしたので、他人を支配することで自身の強さ・正しさを証明したがる周囲の「大人」「親戚」から、私はずいぶん蔑視され続けたのです。

つまり他人から支配されるのです。

「おまえは役立たずだ」
「劣っていることを知れ」
「こんなこともできないのか」

そういう言葉をいきなり投げかけられる私は、おどおどしてばかり。

言い返すことが出来ない私は、どんどん他人から支配されるのでした。

でも今ならわかるのですが、私の育った家庭では支配する・支配される人間関係しか見せてもらえなかった。

だから私は他人に知らぬ間に従属する、そんな人間関係しか結べなかったのです。

「俺はお人好しだ」と自分自身の性格を嘆いたこともあります。

でも、それは違った。性格のせいではなくて支配・被支配の人間関係しか知らなかっただけだったのです。

「ほんの少し、違う見方をしてみる」

私は『完璧に癒されなきゃ』と思っていた時期があります。
でも今は違います。

AC克服に完璧はいらないのです。

自分を縛る「見えないルール」に気づき、それを選びなおす自由がある——それだけで充分に大きな一歩なのだと思います。

選びなおす自由がある。たとえば他人に従属する代わりに、対等な人間関係を選ぶ。これは、あなた本来の自由で決めていいのです。

なぜなら「誰と、いつ、どの程度まで人間関係を結ぶか」については、あなたに権限があるから。

「でも、決めることができないのです」
そんなふうに、感じられているかもしれません。

決めたい。決められない。

選びなおしたい。じゃあ、なにを選択すればいいの?

決められない。でも、決めてみたい。

なにを選べばいいかわからない。
そして、そろそろ自分の選択をつくっていきたい。

なにを選んだらいいのか。
どうやれば決められるか。
今はわかりにくい。
そうだとしても、
自分で何かを掴んで味わってみたい。

だからこそ、アダルトチルドレンにとっての第一歩は、ここにある。

それは「決めたとしても、明日また決めなおしていいんだ」ということ。

決めるとは、結論を出すこと。

でも、その結論に縛られる必要はないのです。

その結論に従い縛られる代わりに、決めなおす自由があるんだと知ること。

たとえば「あの人に世話になったから」と、ずっとその人の言うことに従う必要はないのです。

その世話になった人に誠実になるばかりでは、知らぬ間に疲弊してしまうかもしれません。だからこそ自分に誠実になってもいいのです。

自分に誠実になる。
自分で決めてもいいし、決めなくてもいい。
選んでもいいし、選びなおしてもいい。

その繰り返しの中で、あなたの主体性は少しずつ取り戻されていくのだと私は信じています。

ほんの少し、違う見方をしてみる。

肩の力を抜いてみる。

「焦って決めることはないんだ」と。

これは、とっても価値あることです。

まとめ

ここまで読んでくださったこと、それだけでもあなたはもう一歩進んでいます。

どうか、これからはひとりで抱えすぎないでください。

もし、今のあなたが「ちょっと話してみたいな」「聞いてほしいな」と感じていたら——

どうぞ、安心してご相談ください。

あなたの歩幅で、大丈夫です。
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わたなべいさお

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