どんなに時間がたっても、親への怒りが消えない。
「許せば解決できるのかな?」と思っても、許すことはできない。
確かに、憎い親を許すのは難しいですよね。
実は――怒りを消すために必要なのは、“許す努力”ではないのです。
許す努力をする代わりに、怒っている自分をやさしく認めてあげること。
この文章では、
苦しみから抜け出すための生き方をお伝えします。
あなたの怒りは、間違いではありません。
それは――「もっと大切に扱われたかった」という、心の声なのだから。
なぜ親への怒りは消えないのか―怒りは論理だから
怒りとは、感情ではありません。
それはロジックであり論理なのです。
怒りは論理でできている。だから、いつまでも腹が立つのです。
それが感情なら、時間があなたを癒すことでしょう。
しかし、「根に持つ」という言葉があるように、怒りはしつこいのです。
なぜなら怒りは論理によって生まれるからです。
つまり、こういうことです。
「親にこんなことをされた」
「親にこんなことを言われた」
「それって、おかしいんじゃないか?」
「それって、間違っている」
「なので、私は憤りを感じる。怒っている」
・・・こうした具合に、怒りは論理の筋道を通って生まれるわけです。
だからこそ、あっさり忘れることができないのです。
感情ならしだいに忘れることができるかもしれません。
けれど論理に根ざした怒りは、なかなか消えてはくれない。
親への怒りが止まらない―それは仕方のないことだと思います。
出来事は消えない―だから怒りも消えない
怒りを生み出した「あの出来事」は事実として存在しています。
そして、それは「あってはならないこと」でした。
あの出来事は、あなたの「自尊心を傷つけた」かもしれません。
あなたという存在を「軽んじる言動」だったかもしれません。
あなたの「将来性を踏みにじる」行為だったかもしれません。
あなたの「プライバシーを侵犯する」ものだったかもしれません。
これらは、あなたの人としての権利を侵すものと言えるかもしれません。
だからこそ、あなたは「なんかおかしい!」「親は間違っているのでは?」と感じて、だんだん怒り始めたわけです。
よく「親を許しましょう」とアドバイスされます。しかしながら、許せないのは「あの出来事」は消えないから。
親を許すには、あなたを怒りにおいやった「あの出来事」をかき消すしかありません。
しかし、あの出来事を頭から追い出すのは難しいでしょう。
なぜなら出来事は事実として残るわけですから。かんたんには忘れられないでしょう。
それゆえに、親への怒りを止めるのは難しいのだと、私は思います。
親を許せない自分を思いやることの大切さ
「親を許しましょう」といったアドバイスがあります。
しかし、親を許そうとしても「やっぱり許せない」となる。
「親を許す。でも許せない」こうした正反対の考えに悩んでいませんか?
でしたら「親を許す」考えを持つ必要はないでしょう。
「許す」と「許せない」はちょうどコインの裏表の関係です。
ですから、どちらか片方を残すことはできないのです。
「許す」「許せない」は表裏一体。
「親を許そう」と考えても、もう片方の「許せない」が浮上してくるのは仕方がないのです。
だから「親を許せない」と感じるのは自然なことです。
あまつさえ、親を責めるがゆえの罪悪感をかかえる必要はありません。
ましてや、あなたが親に傷つけられた事実は確かにあったのですから。
さらにいえば、「親を許しましょう」なんてなことは、他人から言われるべき言葉ではありません。
たとえそれが、あなたのために言われたアドバイスであったとしても、やはり許すか否かは当事者が決めるべきこと。他人があなたに言うべきではないのです。
大切なことは、親を許せない私を自分自身でいたわることだと思います。
許せないほどのことを親からされたわけです。嫌な思いを味わってしまったご自身を思いやる時間は価値あることだと思います。
「親に腹が立っている。そこから抜け出したい」
「親を許せばいいのか? けれど許すなんてできない」
こうした想いにさいなまれる代わりに、「こんな想いをした自分をもっと大切にしたい」とご自身を思いやってみる。そんな時間を少しだけ増やしてくのは大切なことだと思います。
親と直接対決しない方がいい理由
傷ついた自分自身をいたわることの大切さ。そうした観点から考えると、親への怒りを直接ぶつけるのは、やめた方がいいのかもしれません。
なぜなら、かえって傷つくことが多いからです。
「毒親とは対決すべきだ」といったアドバイスがあります。
しかし、私はその方法をおすすめできないのです。
「私はこんなにもあなたに怒っているんだ」と親に言ってみる。そこには親に私の気持ちをわかって欲しい。謝ってほしいという期待があるでしょう。
しかし、そうした期待をたいていの親は一蹴するものです。
あるいは「親に向かってえらそうなことをいうな」とか、「育ててやったのに何をいうか」と言い返すことが予想されます。
そうなると、かえって腹が立つし、怒りに火と油を注ぎかねません。
親に期待すべきではないのかもしれません。
なぜなら親は私たちが思うほど、成熟していないといえるからです。
子育ての過ちを認めない親の心理
親はたいてい、自分の過ちを認めません。
「親としての立場」を守ろうとするからです。
謝罪することで親は「家庭内の権力基盤」を失う怖れを感じるのです。だから過去の過ちを認めないのです。
親はいつまでも「親」でいたいのです。「親」として子どもに権力を行使したいのです。
家族を支配したがる親。家族を自分の自己実現の道具にしかみない親。そんな親は、子どもからの異議申し立てなんて認めるわけにはいかないのです。
たとえ子どもから怒りをぶつけられても「もう済んだことだ」「覚えていない」と言い逃れをし、自己弁護に終始します。
過去の子育ての過ちを受け止める器を、すべての親が持っているとは限らないのです。
「支配する / 支配される」という人間関係しか知らない人は、他人を自分の自己実現の道具にしかみれません。つまり人権という概念を持っていないのです。よって人間として未成熟といえます。
そうした人が親になるわけです。そんなの親だからといって、成熟した「大人」とは言い難い。
子育ての過ちを認めたくない親がいてもなんら不思議ではありません。
ですから、あなたが親に対して不満を持ち、歯がゆい気持ちになるのも私は理解できます。
ある女性の事例
45歳の女性のケースを紹介します。
彼女はいつも漠然とした不安に悩まされ、孤独で満たされない思いを抱えていました。
恋人がいても、仕事で成果を出しても、心は空っぽでした。
休日も楽しめず、友人といても本音が言えず、人間関係に疲れていました。
頑張っても報われず、そんな自分に自己嫌悪を感じていたのです。
ある日、彼女は「自分は親に大切にされなかった」と気づきました。
幼い頃、母親に「あなたじゃなくて、あの子を娘にしたかった」と言われたのです。
泣きながら「そんなこと言わないで」と訴えても「あんたみたいな娘はいらない」と突き放されました。
また、両親は不仲で、毎日喧嘩ばかりだったそうです。
母親は娘に「お父さんにかかっていきなさい」と命じ、家の中は常に緊張状態でした。
大人になった彼女は、親に問いただします。
母に「あの時の言葉の意味は?」と聞いても「覚えていない」と返されたのです。
「覚えていないって? 言ったじゃないの!」と、怒りをぶつけると「親に向かって何を言うの」と逆に責められました。
父親にも「なぜお母さんと喧嘩ばかりしていたの?」と尋ねると、「どこでもそうだ」「もう忘れろ」と軽くあしらわれました。
彼女は両親に連絡を絶ちました。
怒りを伝えても理解されず、かえって傷つき、怒りが深まっただけだったのです。
親への怒りに時間を消費するほど人生は長くない
怒りを抱くのは当然です。
親のしたことは、怒りに値するでしょう。
しかし、その怒りに人生を支配されてしまうと……どうなるでしょう。
人生が怒りに染まると、何をしても楽しめなくなるかもしれません。
頭の中で親への憤怒が渦巻いていると、心から愉しめなくなるかもしれない。
怒りが止まらないときは、こう問いかけてください。
「私は今、自分の幸せのために時間を使っているだろうか?」
親への止まらない怒り。それは過去への閉ざされといえるかもしれません。
人生は、それほど長くありません。
親のことばかり考える時間を、自分や大切な人のために使いませんか?
自分に問いかける大切な問い
怒りが手放せないなら、自分に問いましょう。
「なぜ、この怒りを大切にしているのか?」
怒りを大切にするとは奇妙に聞こえるかもしれません。
けれど、いつまでも怒るのは、その怒りを特別扱いしているわけです。
そうではなくて、他のことを特別なものとして見ることはできませんか?
親への怒りを感じる代わりに、自分を愉しませる時間を選ぶことができるかもしれません。
親への怒りはあってもいいでしょう。しかし、その怒りに支配されてはいけない・・・私はそう思うのです。
「私は今、幸せになろうとしているのか? 楽しもうとしているか?」
そう問いかけることは、怒りから抜け出す第一歩です。
世界は家族よりも広い―親以外の生きる場所を見つける
子どもの問題行動が起きるたびに世間は、「親の教育がなっていない」と騒ぎ立てます。
もちろん親は子に教えるべきことがあります。
しかし私は、こうも思うのです。
「親はそんなに万能なのか?」
「親が子どもにできることは、わずかなものなのに」
「家族だけが生きる場なのか?」と。
「親はなくとも子は育つ」という言葉があります。
私たちは、家族から巣立ちをして生きることができます。
試行錯誤をくりかえして、失敗しながらも、そこから人生の貴重な学びやスキルを得ることだってできるのですから。
あなたを励ます仲間に出会いましょう。
家族よりももっと実りがある場所があります。
世界は、家族よりもずっと広いのですから。
いつかは親離れをして、あなたが選んだ場所で生きることになります。だからといって、孤独になるわけでもありません。
親は選べません。でも、友人は選べます。
家族は選べません。でも、生きる場所は選べます。
私たちは、仲間と一緒に生きることができるのです。
怒りはあってもいい
怒りは論理であると、最初にお伝えしました。
そして怒りは感情ではなくて、論理の筋道によって生まれた──なので、怒りはネガティブな感情ではないのです。
怒りはあってもいいのです。
ただ、その怒りをストレートに行動に移すのは、やめましょう。親に怒りをぶつけるのは避けた方がいいです。
怒りをそのまま行動化するのは得策ではないことに留意してください。
では、なぜ親に怒りを覚えるのでしょうか。
「私はもっと大切にされたかった」という願いがあるがゆえに、親に怒りを覚えるのです。
つまり怒りとは、あなたがあなたを守ろうとする、心の声なのです。
怒りがある。
そして、
自分自身を大切にしながら生きていく。
たとえ怒りがあっても、あなたが行きたい場所―世界へ踏み出すプロセスを歩めたらいいですね。
その歩みこそ、あなた自身の物語のはじまりです。
世界は、あなたを待っています。
ひとり立ちへの不安があれば、私はいつでもご相談に応じます。
ご相談の受付はこちらです。
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米国催眠士協会認定ヒプノセラピスト
わたなべいさお
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