誰だって恋をすれば「恋愛依存症」になるかも知れない
恋愛依存症は病気ではありません。
それは病名ではありません。
けれど恋愛依存症という言葉は特別な響きがします。
でも誰だって恋をすれば「おかしくなる」ものです。
恋愛にのめりこんでいって、恋人のことしか考えられなくなる・・・。
程度の差はあるでしょうけど、恋愛をすればそういう経験をするものです。
恋愛依存症の特徴には、こういものがあります。
- 恋人のために過度に時間やお金を費やしてしまう。
- 恋人のことが頭から離れない。
- ずっと恋人のことを考えている。
- 恋愛以外のたとえば仕事など、他のことがおろそかになる。
- 「私の救済者」として恋人を理想化している
しかし恋愛をすれば多くの方はこういう状態になるのではないでしょうか?
自分自身のことを今まで誰にも承認されたことのない方が、自分にとってタイプの人から「愛しているよ」と言ってもらえれば、冷静になる方が難しいのではないでしょうか?
しかしそうは言いましても「私って恋愛依存症かしら? どうすれば克服できるのか?」とお悩みの方はおられるはずです。
そういった方のためにこのページをお送りします。
まずは依存することは悪いことなのか? についてお話していきます。
依存するって悪いこと?
おそらく恋愛で悩んだことのない人なんて、いないでしょう。
だからといって恋愛依存症に苦しむ人に「恋愛って悩むものですよ」とは口が裂けても言えません。
さらに「依存なんかしないで、自立した生き方をしましょう」と、そう言ってのけられるほど、恋愛依存症は単純なものではありません。
「執着するのはダメですよ。自立しましょうね」
「人に依存するのではなくて、自分のことを愛しましょう」
「自分を愛せたら、依存しないようになれます」
・・・こうしたアドバイスが実際にありますよね。
これらのアドバイスの裏側には「依存は悪であり、自立こそ正しい生き方だ」という考えがあるのです。
けれど人に依存するのはダメなのことなのでしょうか?
自立は良くて依存は悪なのでしょうか?
それって本当なのでしょうか?
だって人間関係で「依存したり、依存されたりする」のはよくあることだから。
恋人同士だけではなくて、家族・夫婦・友人といった人間関係において「依存したり、されたりする」のは、そんなに悪いことなのか? と思うのです。
人が自立できるのは誰かに依存できるからこそなのです。
依存なくして自立なんてできないのです。
ただ、ずっと依存され続けるのは疲れます。
なので依存されて、しんどくなれば「ちょっと疲れました。休ませてね」と身を引く。
依存している人も「そうか。わかった。今までありがとう」と依存するのをやめてみる。
依存されてしんどいならば、「しんどい」と素直に伝えられる関係であれば、依存というのは悪いものではなくなる。
悩んだり、心配事ができたりしたら、人に頼って助けてもらう。
あるいは困っている人を助ける。
そういう助けをお願いしたり、助けてあげたりすることで、人間関係はできあがっていくものではないでしょうか。
まったく依存しないで自立して生きるならば、人間関係は不要になるでしょう。
依存するのは悪いことでない。ただ依存される側から考えれば、ずっと依存され続けるのは耐えがたい。
そんな時は、「ちょっとこれ以上、私に頼らんといてね。疲れたから」と自分の気持ちを相手に伝えればいいだろう。
つまり「依存されるの、疲れた」「わかった。今までありがとう」といった感じで、「話し合い」があれば問題は起きないだろう。
ふたりの関係において「話し合い」があれば、依存されることから身を引くことができるし、依存することをお休みできる。
では、恋愛依存症でしんどい想いをしている方のために、何が必要かと考えると、やっぱり「話し合い」だと思います。
つきあうこと。話し合うこと。
あなたと恋人との間で「話し合い」はありますか?
自分の気持ちを率直に伝えて、かつ、相手の言い分も聞いて「私のことわかってもらえた」「そんなふうにあなたは感じているのか」と分かり合えることは、とっても大切です。
なぜなら人によって言葉の意味は違うから。
「私はあなたのことが好きです」と言われても、「うわ~!」と舞い上がるのではなくて、ちょっと冷静になってみよう。だって相手の人の「好き」と、あなたにとっての「好き」の意味はまったく違ったりするから。
私の赤色って、おそらくあなたがイメージする赤色とは違うはずです。
なぜなら赤色っていろんな色調がありますからね。
かつて私があるセミナーに参加したとき、「みなさんにとっての怒りを色で表してください」というワークがあったんですね。
怒りを色であらわすと、私の場合は黄色でした。
すると、ある参加者さんは「怒りは赤色です」というのです。
別のある人は「青色です」というのです。
「怒り」の印象は人によってまったく違っていたのです。
つまり怒りのような分かりやすい感情でも、人によって印象は違うのです。
ならば愛なんて、いろんな意味がありそうですね。
私にとっての愛と、あなたにとっての愛はおそらく違うでしょう。
「私にとっての愛と、恋人にとっての愛は、まったく一緒かどうか?」・・・これは恋人に聴かないと分かりません。
あなたにとっての「愛する」こと。恋人にとっての「愛する」こと。今までの生き方が違うふたりなのですから、まったく同じとはいかないでしょう。
さて、それでは「愛する」ことについて、あなたは恋人と話し合ったことがありますか?
恋人にとっての「愛する」ことの意味をあなたはご存知ですか?
あなたにとっての「愛する」ことの意味を、恋人は熟知しているでしょうか?
ここで、あなたはこう思うかも知れません。
「私は『こんなふうに愛されたい』っていつも思っている。
私が求めている『愛され方』を、向こうから察知して欲しい」と。
つまり「私が言わなくても私の求めている『愛され方』を察知して欲しい」と、あなたは願っていますか?
けれど恋愛の苦しみは、そういうところから生じるのかも知れません。
「あなたが求めていること」と「相手が求めていること」が分かり合えていないと、すれ違いが生まれるのではないでしょうか?
「あなたが求めていること」と「恋愛相手が求めていること」は違うはずです。
もし、この違いが分かっていなければ、求めているものを与えられないわけです。よって、ふたりの間で欲求不満が高まるでしょう。
おたがい愛し合っているんだから以心伝心があるはず。話し合いがなくても恋人同士なんだから分かり合えるはず・・・いえいえ、そうはいかないものです。
やはりおたがいが「話し合う」ことでしか、分かり合えないものです。
けれど、こちらから何も言わなくても、私の寂しい気持ちを察知して、優しくしてほしい・・・こういう願望を恋愛依存で苦しんでいる方は抱きやすい。
もし、あなたのなかで、こんな想いがあるなら、ちょっと考え直した方がいいでしょう。
「愛して欲しいと自分から言うことで、愛されてもそんなの値打ちがないじゃない。
私が言わなくても、私の気持ちを察知してくれて、愛してくれなければ意味がないのよ」
しかしながら、自分の気持ちを察知してくれて、自分の欲しいものを手渡してくれるのは、大人の人間関係ではありえないことです。
親は幼子の様子をうかがいながら、ミルクを与えたり、だっこをしたりします。
つまり子どもの頃なら、親の方から子どもの気持ちを察知してくれて、「どうしたの?」と優しくしてくれたでしょう。
けれど、あなたの感情を敏感に察知して、あなたが欲しいものを与えてくれる人は、大人の人間関係では皆無なのです。
たとえば新しい職場に入っても、みんな忙しいので新人さんことを誰も見向きしてくれません。
複数の人たち同士で会話をしている時だって、みんな自分のことばかり話しています。
大人の人間関係では、自分に目を向けてくれることはめったにないのです。
だからと言って人から「愛される」「優しくされる」ことを、あきらめましょうと言いたいのではありません。
人からまったく目を向けてもらえず、愛されもせず、優しくもされずに生きられるほど人間はタフではありませんから。
やはり仲間は必要です。
そうだとしたら「話し合う」ことってものすごく大切だと思いませんか?
話し合いを通じておたがいの気持ちを理解し合うことで「助けてほしい」「ならば、助けてあげるよ」といった人間関係がつくれるはずです。
恋愛って奇跡ですよね。だって自分が好きな人と結ばれるのですから。
そういう関係は希少なのかも知れません。だからこそふたりの関係が切り結ばれるための「話し合い」の場をつくりませんか?
たとえ、あなたの気持ちを言葉にすることが難しくって、もどかしくても、時間をかけて何度も恋愛相手に伝えることは、大切なことです。
寂しくってもっと愛して欲しければ、、、
たとえば「お願い・・・あのですね。私、少しでいいのでギョッと抱きしめてくれたらなって思うのですけど、いいかな?」
といった感じで相手に素直に伝えてみたらいかがでしょうか。
そしてここが大事なのですけど、相手の意見、言い分も聴きましょう。
自分の気持ちに素直になる。率直に自分の気持ちを相手に伝える。
同時に、相手の言い分も言い返さないで最後まで聴きましょう。
恋愛依存症を溶かすもの―それは「信頼」です
「自分の気持ちに素直になる。
落ち着いて自分の気持ちを率直に恋人に伝える。
そして相手の言い分に反論しないで最後まで聴いてあげる」
こうした対等な関係・率直さってとても大切です。
「話し合い」によって、あなたと恋人との間にコミュニケーションの新たな回路が開かれます。
愛されないかも知れないことへの怖れ。親密になることへの怖れ。それゆえに恋愛依存症に苦しんできたなら・・・。そんな恋愛への怖れを迂回できる「横道」があります。それが「話し合う」という新たな回路です。
自分の気持ちに素直になって率直に相手に伝える。そしてまた相手の言い分も聴く・・・・そんな新たなコミュニケーションの回路を開いていきませんか?
ふたりの間で「話し合う」という回路の厚みが増していくことで、やがてあなたはこのように気づくことができればいいですね。
「自分の気持ちって、相手に伝わるんだ。受け取ってもらえるんだ」と。
この手ごたえが、これからのあなたを支えてくれるはずです。
なぜなら「人間への信頼」があなたのなかに芽生えるから。
あなたが望んでいたのは「自分のことがわかってもらえる」ことではありませんか?
でしたら今からふたりの間で新たな回路を開いていきましょう。
わかりあえることで、あなたのなかに「人間を信頼できる」という意志が築かれます。
ふたりの関係が信頼で結ばれることで「恋愛依存症の苦しみ」は克服されるかも知れません。
恋人から確実に愛されたい。ずっと恋人のことばかり考える。恋愛にのめり込んで他のことが手につかなくなる・・・そうした恋愛依存症の裏側にあるのは「不安感」だと思うのです。
その「不安感」を追い払うのは「信頼」です。
「不安」がもっとも嫌うのがこの「信頼」なのです。
その反対に「不安」の大好物は「孤独」です。
ですから、あなたと恋人の気持ちが分かり合えることってものすごく大切です。
恋愛においてとても大切なこと。
それは、おたがいが求めていることを分かり合えることです。
ふたりが信頼関係で切り結ばれるための「話し合い」を今から始めていきましょう。
つきあうことは話し合うこと。
この文章があなたに伝われば嬉しいです。
あなたの幸せをお祈りしています。
心理セラピスト
米国催眠士協会認定ヒプノセラピスト
わたなべいさお