機能不全家族の特徴とは?

機能不全家族の8つの特徴

アダルトチルドレンとは機能不全家族を生き抜いた人のことを言います。

機能不全家族とは、必ずしも家族のなかに暴力や虐待があるわけでもありません。

暴力や虐待がなくても、アダルトチルドレンは家族のなかから輩出されます。

そんなアダルトチルドレンを生み出す機能不全家族には、以下の「8つの特徴」があります。

  1. 否認
  2. 矛盾と予測不可能
  3. 共感の欠如
  4. あいまいな境界
  5. 親子関係の逆転
  6. 閉ざされた家族
  7. 混乱したメッセージ
  8. 家のなかにある両極端

では、それぞれの項目をわかりやすく解説していきます。

機能不全家族の8つの特徴

これから解説するにあたって機能している家族」と「機能していない家族」を比較することで、より特徴がわかるように工夫をしています。

「機能している家族」では、一切、喧嘩やもめごとが起きないわけではないことが分かって頂けると思います。

読まれることで、子ども時代の体験が現在の自分にどんな影響をもたらしているかについても、気に留めて頂ければと思います。

なんでもないふりをする―否認

機能している家族では、親は自分の感情や考えを子どもとわかちあいます。家族はおたがい感情をオープンに表現します。

それがたとえ不快な感情であっても、それを隠しません。「今日は仕事でつらいことがあったんだ」と、自分が不機嫌である理由をはっきりと表明します。

親が不機嫌であることに、子どもが嫌がることも許されます。「お父さんが不機嫌なのはイヤなんだね」と、親は子どもの反応を受け止めます。

つまり家族のそれぞれが思ったことや感じたことを率直に言えるのです。これが機能している家族の特徴のひとつです。

しかし、機能不全家族ではつらい感情を認めることができない。なかったことにされるのです。

親同士が喧嘩していて、「どうして喧嘩してるの?」と子どもがたずねても、親は無視をしたり黙ったりするのです。

あるいは「そんなこと子どもが聞くもんじゃない」と冷たく対応するのです。

こうした親の無視や冷たい対応によって「おかしいと思っても、黙っておこう」と子どもは感じてしまうのです。

たとえ、いつもと家のなかの雰囲気が違うのに、その理由を聞くのが怖くて、心を閉ざしてしまうのです。

たとえ「お父さん。お母さん。どうしたの? 何かあったの?」と聞いても、「なんでもない」と冷たくされるのです。

そうなると、子どもはどう感じるでしょうか。

「自分は何も感じてはいけないのだ。感じたことは間違いなんだ。信じてはいけないんだ」と感じてしまうのです。

つまり機能不全家族では自分自身が感じたこと、見たこと、信じたことを認めない、否認してしまうようになるのです。

明らかに親は不機嫌だし、イライラしているのですが「なんでもないふり」をされてしまうのです。

ちゃぶ台がえし―矛盾と予測不可能

機能している家族では、親は子どもの期待を裏切りません。

たとえば「次の休みの日は、遊びに行く」と決めたら、その約束は守られます。

もし、急な用事で遊びに行けなくても「じゃあ、夜はファミレスで外食をしよう」と、必ず埋め合わせされるのです。

あるいは親は、急用があって遊びに行けないと、理由をはっきり言います。

また、夕食は家族で一緒に食事をするなど、一定のしきたりが家のなかにあります。

もし、お母さんが仕事で遅くなるなら、かならずお母さんは家に電話をします。

電話のおかげで、子どもはお母さんが夕食で一緒になれない理由がわかるので、「お母さんとお父さんは仲が悪いのかな」などと憶測をする必要はありません。

しかし、機能不全家族には一貫性がありません。何が起こるか予測がつかないのです。

家のなかは安定していなくて、混乱ばかりなのです。親がリーダーシップをとる意欲がないからです。

約束はかんたんに破られます。「遊びに行くって? そんなこと俺は言ったか?」と、ちゃぶ台返しは日常茶飯です。

親の行動は日によって変わります。親のきまぐれで決めたことは守られません。

日曜日は遊びに連れてく約束だったのに、親は朝からお酒を飲んで黙って寝ているのです。

さっきまで穏やかに話していたかと思うと、次の瞬間には怒りを爆発させることもあります。

なんの予告もなく急に親が暴れ出すのです。親が精神的に動揺しているので、急に子どもを叱りつけたりします。

今、親は穏やかだなと安心していたら、突然、ドカンと怒鳴られます。

こうして、家のなかが不安定なので、子どもはいつも親の顔色を気にする必要があります。いつも用心深くしないといけません。

しかし家の外に出ても子どもは生活できませんから、混乱と動揺のなかで緊張しながら生きるしかないのです。

それがどうしたのだ?―共感の欠如

共感とは相手の感情や欲求を感じ取ってそれに反応することです。

機能している家族では、親は子どもに共感をします。親は子どもの気持ちを無視したり、たしなめたりせず、その気持ちをそのまま認めます。

子どもがサッカーでゴールを決められなかったことで、どんな気持ちになっているか、親は知ろうとします。

そして落ち込んでいたら「今回は残念だったけど、次の試合では上手くいくよ」と励ますでしょう。

しかし、機能していない家族では、親は子どもを共感しないのです。

親に人の気持ちを感じ取って、それに反応する能力がないからです。

なぜならば、親もまた、自分自身が子どもだった頃、親に共感されなかったからです。

人は親にされなかったことを、子どもに与えることは難しいからです。

共感できないとは、子どもの気持ちを無視することです。

子どもが野球で三振をして、メソメソ泣いていても「いつまでウジウジしているの。そんなスポーツマンはいないよ。だからあなたは野球が上手くなれないのよ」と、頭ごなしに否定してしまうのです。

あるいは、親は子どもの年齢以上の期待と要求を求めます。

たとえば、夫婦の不仲に悩む母親をなぐさめる役目を、6歳の子供にやらせたりします。

子どもは外で遊びたいのです。学校で友達にいじめられたことを母親になぐさめてもらいたいのです。

しかし、そうした子どもの気持ちは気づかれず、家族の役割を生きることを強いられるのです。

私はあなた。あなたは私―あいまいな境界

機能している家族では、いくら家族であってもお互いに「境界」があります。

子ども宛ての手紙を、親は勝手に開封して手紙を読むことはしません。

親は子どものからだにふれて、じゃれあうことはあるでしょう。しかし「もう、それ以上はやめてね」と子どもが言うと、親はじゃれあうのをやめます。

子どもたちが親を相手に水鉄砲をかけます。もちろん遊びでやるのです。しかしほどなくして親が「もうやめてね。本気だよ」というと、子どもは水鉄砲を親に向けるのをやめます。

つまり「本気だよ」という合図で「やめる」という決まりごとがあるのです。

しかし機能していない家族では、「本気だよ(もうやめてね)」のような決まりがないのです。

トイレに入るとドアを閉めるとか、大人が裸で家のなかを歩き回らないとか、やたらと相手の身体をさわらない、というのも「家族の決まり」でしょう。

それは、いくら家族でもおたがいの境界が尊重されているのです。つまり一線を越えることは、してはいけないことになっているのです。

機能している家族では、物理的・心理的な境界が一貫して尊重されています。親のきまぐれで、境界が破られることはありません。

ドアが閉まっている浴室は入ってはいけないという決まりがあるなら、そこには誰も入らないのです。

しかし機能不全家族では、どんな決まりがあるのかよくわかりません。決まりはよく破られました。

物理的・心理的境界はあいまいでした。境界は尊重されることもありましたし、無視もされました。つまり「あいまい」だったのです。

「もうやめて。本気よ」と言っても、聞いてもらえませんでした。「もうやめて」と言う権利もなかったかも知れません。

家に帰ると自分が作ったプラモデルが親によって捨てられていました。子どもが言うことを聞かない罰として、捨てたのです。

機能していない家族では、親は子どもに黙って、同意も得ずに、子どもの持ち物を売ったり、捨てたり、人にやってしまうのです。

このように親と子の境界を尊重しない家族のなかで育つと、「自分のもの」が本当に自分のものなのか分からなくなるのです。

どこまでが自分なのか。なにが自分なのか分からなくなるのです。

つまり自分という存在が不安定になり、自分と他人の間のどこに線を引けば良いのか分からなくなるのです。

親が親の役割を果たさない―親子関係の逆転

機能している家族の親は、適切なリーダーシップをとります。

親が家族を統率していきます。でも独裁者として支配することはありません。

家計簿をつける、子どものしつけ、休みの日の過ごし方、教育などの分野で、どちらの親がリーダーシップをとるか違っています。

どちらの親がリーダーシップをとるかは、時間が経つと変わることがありますが、必ず親は子どもの欲求に気を配ります。

しかし機能していない家族では、親子関係が逆転しています。

親自身が子どものころに親から適切な指導をされていなかったので、大人としての役割や責任の担い方を知らないのです。

子どもの時代に親から必要な優しさや導きを与えてもらえなかったので、いつまでも子どものままのようなのです。

そしてさらに子ども時代に満たされなかった欲求を、自分の子どもに満たしてもらおうとします。

夫に充分に愛されていない妻が子どもに依存するケースもあります。

しかも子どもの年齢をかえりみずに、親は子どもを頼り切るのです。

私の場合、父親が読み書きができない人だったので、私が父親に漢字や算数を教えていたのです。

それは私が7歳くらいのころでした。母親の指示で父親に読み書きを教えていました。これは7歳の私からすれば、とても無理なことでした。

つまり親子関係が逆転していたのです。

たとえば父親が理由も子どもに言わずに「お前が、お母さんの面倒を見るんだぞ」と言い残して、家を出たとしましょう。

その子は12歳でした。しかしまだ子どもなのに、お母さんの面倒を見るようにと言われるのは、過酷なことです。

しかし、その子は必死に父親の期待にこたえようとしました。それは子どもには重すぎる責任です。

こうして、親は親としての責任の果たし方がわからないのです。

わからないから、子どもに対する態度に一貫性がなかったり、非現実的な期待を子どもにかけたりしてしまうのかも知れません。

子どもが親の世話をしなければいけないならば、「小さいお父さん」「小さいお母さん」として生きなければいけません。

つまり純粋さや無垢といった「子どもらしさ」を隠して生きなければいけません。

親のために生きることで「偽りの自分」を生きるのです。

子どもは、子ども本来がもっている子どもらしさを、表に出せないのです。

世間との交流がない―閉ざされた家族

機能している家族は、外に開かれています。

家族のメンバーは、家族の枠を越えて地域社会と交流しています。

親が地域のスポーツクラブに参加していたり、学校の行事に親も子も積極的に関わります。

親と子がボーイスカウトの行事に一緒になって参加します。

子どもは地域の子供会やバスケットチームのメンバーだったりします。

近所の子が気軽に家に遊びに来ます。

こうした世間や地域社会の共同体との交流があると、子どもは孤立しないでしょう。

そして子どもは家族以外の広い世界や他者とつながっていけるのです。

しかし機能していない家族では、もっとずっと閉ざされています。

地域とのつながりはありません。子どもは家に友達を連れてきません。

親も友人や近所の人とのつながりが希薄です。

たとえあっても、ほんのわずかです。あるいは、親は近所の人とよくトラブルになり、もめているのです。

つまり家族全体が孤立しているのです。

ですから子どもは、自分の家族の外のより大きな共同体を感じることができないのです。

家に友達を連れて帰ることを、どうして避けていたかと言えば、たとえば親がいつもお酒を飲んで喧嘩ばかりしていたら、友達を呼ぶのは避けたいでしょう。

そして、友達の家に遊びに行くと、自分の家とはちがうのです。友達の家族は完璧みたに感じられるのです。少なくとも自分の家よりはマシだと思っていたら、自分の家族の状況がよけいに悪く見えるでしょう。

そうなると、自分のつらい状況が他人に言えなくなります。

どうしてかと言うと「こんなつらい自分の家の状況は他とはちがって特殊だ。なので言っても分かってもらえないのではないか」と思えるからです。

そうなると、ますます家族の外の人たちや共同体に「助けてほしい」と言えなくなります。

他人を家に招き入れることが出来ないと、他人を心のなかに招き入れることも出来ません。

ですから、家族はより孤独になり、孤立してしまうでしょう。

たとえ家のなかで虐待があっても、人に言えなくなります。たとえつらくても、「私の家族は他とちがって特殊だ。だから自分の悩みを言っても分かってもらえないはずだ」と思えるからです。

こうして家族が閉ざされていると、つらいことがあっても我慢しようとなるかも知れません。

言葉と態度が矛盾している―混乱したメッセージ

機能している家族では、おたがいが率直になって意志を伝えあいます。

ストレートに自分の気持ちや意見を家族に話すのです。

言葉に矛盾がないのです。

親の言葉と表情が一致しているのです。

言葉が表情・身ぶりと一致しているとは、どういうことでしょう。

叱る時は、親の顔は怒っているし、嬉しそうになりながら子供を褒めるのです。

しゃべっている人の表情、姿勢、しぐさ、声などがしゃべっている内容とマッチしているのです。

「お前の話をお父さんはしっかり聴いているよ」と言いながら、目はまっすぐ子どもに向けられています。

しかし機能していない家族では、親のメッセージがよく判別できないのです。

「わかった。お前の気持ちはわかったよ」といいながら、親はテレビを観ているのです。

母親が悲しく涙を流していて、「どうしたの?」とたずねるとしましょう。

そしたらお母さんは笑いながら「なんでもないわ」と答えました。

子どもは「なんでもないわけないだろ」と感じて、それ以上はたずねてはいけないと感じてしまう。

あるいは親がハンガーで子どものお尻を叩きながら、「私はあなたを愛しているから叩くのよ」と言いながら、さらに「あなたが痛い以上に、私の痛みは大きのよ」といってのけると、子どもはひどく混乱してしまいます。

リビングに行くと両親が無言で黙っています。母親が父をじっとにらみつけています。

あきらかに空気は張りつめています。

子どもが「どうしたの」とたずねても母親は「なんでもない」と答えるだけです。父親はテレビを観ています。

なんもないわけありません。しかし「なんでもない」とされてしまうのです。

こうした矛盾した、混乱に満ちたメッセージが当たり前になると、どうなるでしょう。

子どもは親のメッセージの本当の意味をつかむのがむずかしくなります。

そうなると、親のしゃべっている内容よりも、態度が気になります。

親の態度、サイン、顔色ばかり気になります。

「いいよ。遊びにいこうか」と、うつろな目をして腕組みしながら言ったとすると、子どもは「親は本気じゃないな。遊びには行けないな」と思ってしまう。そして、その予測は当たったのです。

つまり、こうして家族のなかでの一貫性はくずれていくのです。

あなたは、友人と会話をしているとき、ふと「本当はどういう意味なんだろう」と考えることはありませんか。

もしそうだとしたら、親の矛盾したメッセージのなかで育ったことが、きっかけになっているのかも知れません。

対立と無関心しかない―家のなかにある両極端

機能している家族では、まったく口論もなければ、対立もないわけではありません。

喧嘩もありますし、もめごとは起きます。口げんかもあります。

「対立」が基本的なかかわりかたではありませんが、対立は起こります。

人にはそれぞれ独自の意見があって、それらがぶつかることは当然にあることを家族は理解しているのです。

家族のメンバーが意見の違いや、怒りなどの不快な感情を出しあい、対立を解消しようと努力します。

ときには派手に口論になるでしょう。口論は歓迎すべきコミュニケーションではありませんが、だからといって対立するのを避けるべきではありません。

人と人が共に暮らしていると、対立は起きます。そして対立を解消するために時間をかけて何度でも話し合う必要があることを家族は知っているのです。

そして、いつかは対立は話し合いによって解決できることも理解しているのです。

対立を通じて「意見のちがいがあってもよいのだ」「いろんな物の見方や解釈があってもいい」ということを子どもは学べるのです。

しかし機能不全家族では「対立ばっかりしている」か「対立がすくなすぎる」かのどちらかです。

「対立ばかりしている家族」では、人には意見のちがいがあることを分かり合う前に、喧嘩が起きます。

毎日、誰かが家のなかで喧嘩しています。話し合いなんてありません。すぐに喧嘩になります。

もう喧嘩が普通になっているのです。だから子どもはずっと緊張していて、自分を守るために身構えないといけません。

あるいは「対立が少なすぎる家族」もあります。

問題があっても隠されるのです。

問題は話し合われず、喧嘩もありません。

家族はなにもかも上手くいっているふりをするのです。

ある家族では、おたがいしゃべったりしないのです。というか必要なこと以外は話さないのです。

両親はおたがいめったに話さないのです。きょうだいも素直で良い子で、決して喧嘩もしたりしないのです。

けれど、ちょっとした口論をはじめると、母親は怖い顔で子どもをにらみつけるのでした。

しゃべるな」という暗黙のルールが家族を支配していたのです。

いかがでしたでしょうか?

以上、8つの特徴でした。

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米国催眠士協会認定ヒプノセラピスト

わたなべいさお(心理セラピスト)