恋愛とは、とても個人的なものです。
なぜなら、「恋人に何を、どのように求めるか」という欲求は、人それぞれ違うから。
「どこで満たされるか」「どうなれば満たされるか」といった欲求も、一人ひとり異なります。
そんなふたりの欲求が交わるところに、恋愛は生まれるのです。
とても単純化して述べますと「私は、こうありたい」「うん。私もそうしたい」といった具合に、おたがいのニーズが交差しているところで恋愛は存在しています。
ここで、気づけることがあります。
自分自身の「恋人への欲求のカタチ」を知っていること。
恋人に自分の欲求の伝え方を知っていること。
……これらは、とても大切です。
そして、恋人の欲求についても理解していて、おたがいのニーズについて話し合える関係でいられること。
こうしたことを、おたがいが理解していることで恋愛の悩みは溶けていくでしょう。
ということは、
恋愛で悩んでしまうのはたいてい、これらをおたがいが理解しようとする冷静さが少なくなった時ではないでしょうか。
おたがいのニーズを冷静に理解するよりも、自分自身の欲求にふりまわされる。そうなれば恋愛関係は「悩み事」になるでしょう。
このように考えると、「恋愛ができない」ことの原因を機能不全家族に求める代わりに、おたがいの欲求のカタチと伝え方への理解がなによりも大切だと思えるのです。
「機能不全家族」を恋愛の悩みの根っこにしてしまうと、「もう、私はどうしようもない。あきらめるしかない」と感じてしまいませんか。
生まれ育った家族をいまさら変えることはできない。なので、「あきらめるしかない」と感じられるかもしれません。
でも、
そうだとしても、
こんなふうに「大切なこと」に気づきたい―。
・親子関係という「過去」がある。
・目の前の恋愛という「現在」がある。
現在を「過去」によって支配させる代わりに、少しずつ現在を愉しんでみる。瞬間という時の流れのなかで恋愛を味わってみる。
こうした恋愛のありようをふまえながら、恋愛を悩み事にしてしまう欲求のカタチについて見ていきましょう。
わたしたちが恋愛に悩んでしまう「欲求のカタチ」
- 「寂しくってたまらない」
- 「愛されることを激しく渇望する」
- 「心から楽しめない」
それらは、機能不全家族で育った方が恋愛の中でふと感じやすい、
とても繊細な想いかもしれません。
たとえば、「寂しくてたまらない」と感じるとき。
たとえ誰かと一緒にいても、どこか寂しさが感じられることがあります。
恋人の優しさに触れても、
「本当に信じていいのだろうか」
と心が揺れてしまうこともあるかもしれません。
また、心の奥で「もっと愛されたい」と感じることもあります。
それが強くなると、「本当に愛されているのかな」と確かめたくなったり、不安になったりすることもあるかもしれません。
「もっと愛されたい」
「自分の気持ちをわかってもらいたい」
こうした想いが強くなると、ふと孤独を感じることもあるでしょう。
でもそれは、あなたの「愛したい」「愛されたい」という
深い願いがあるからこそ、湧きあがる感情なのです。
そして中には、「恋愛を心から楽しめない」
そんな感覚を抱いている方もいます。
嬉しいはずの出来事なのに、なぜかそれが消え失せそうに感じられる。
楽しいイベントを味わいたいのに、ふと「親のこと」「仕事の問題」を考えてしまい落ち着けない。
……このように恋愛が「悩み事」になってしまうのは、安心して心をゆだねることが、これまで難しかったからかもしれません。
恋愛を「楽しむ」という感覚は、安心できる土台があってこそ芽生えるもの。
そうした恋愛の背景についてゆっくり理解していくと、少しずつ愉しみを感じ始めることができるかもしれません。
恋愛の中で感じるその小さな心の揺らぎや戸惑いに、あなた自身がそっと寄り添っていくことも、恋愛を成り立たせるもの―「安心」の大切さに気づけるきっかけになるでしょう。
なによりも恋愛には「安心」が大切だったということ。
おたがいがこの「安心」を育める関係であれば、恋愛は愉しいものになることでしょう。
安心ベースの恋愛を育むために、話し合いは不可欠です。
話し合うことでたがいの欲求を確かめ合う。そして「安心」がふたりの関係の土台になっていく。
もし恋愛で思い悩んだら、この「安心」についてふりかえってみるのは、とても大切でしょう。
では、どうして恋人に心をゆだねることを難しく感じられるのでしょうか。
「安心できない」と、感じるのはなぜなのでしょう。この疑問を次の章から見てきます。
5つの「感じ方」について
人は、どんな環境で育ったかによって、ある「感じ方」を自然に身につけていくものかもしれません。
あなたがもし、ちょっと息苦しいような家庭で育ってきたとしたら……
気づかないうちに、こんな感覚を抱えてきたかもしれません。
-
愛されていないような気がする
-
誰かを信じるのが怖い
-
自分の価値がよくわからない
-
素直に想いを伝えるのが苦手
-
「もう、どうにもならない」と感じてしまうことがある
これらは「あなたのせい」ではなく、そう感じさせられるような経験を、かつてのあなたが何度もしてきた結果かもしれません。
そしてもしかすると、それらの感覚は、今のあなたにまだ少し残っているのかもしれません。
でも、こう思ってもいいのです。
「そう感じていた自分がいたんだな」と、ただ、そっと気づくだけでも。
では、5つの感覚について見ていきましょう。
「愛されない」と感じてしまうことがあるとき
小さい頃、「ちゃんとしないと愛されない」ように思っていたことは、ありませんでしたか?
親など、誰かの期待に応えたときだけ「よくやった」と言われる。
でも、ちょっと失敗すれば、叱られてしまう。あるいは、不機嫌な顔を向けられてしまう。
そのうちに、こんな想いが心の奥に沈んでいったのかもしれません。
「私は、ありのままじゃ愛されないんだ」と。
本来、私たちは「できたら認められる」「できなければダメだ」といった存在ではないのです。
人は、役に立つか、立たないかで、価値が決まるわけではありません。
できない私を責める必要はないのです。
「できても、できなくても」「役に立っても、立たなくても」自分のことを認めてくれる仲間の中に自分の身を置いてもいいのです。
そして、愛されたいと願うことは、決して弱さではありません。わがままなことではありません。
愛されるために役に立つ自分になろうと懸命になる必要もありません。
愛されたい、大切にされたいと願うのは人間本来の心の働きなのですから。
信じることが、怖いとき
「信じたいけど、裏切られたらどうしよう」
そんなふうに思ってしまうのは、過去に何かを信じようとして、傷ついた経験があるからかもしれません。
家庭の中で、親の行為態度に一貫性がなくて、気まぐれだった。
なので「休みの日は遊んでもらえる」という約束は守られることはなかった。
そうやって少しずつ、「人は信じちゃいけない」と覚えてきたのかもしれません。
人を信じられないという想い。それがあるから、恋人を信じ切れない。では、どうすればいいのでしょうか。
自分の力でなんとかして人間不信を払拭する代わりに、信頼できる人間関係に自分自身を置いてみる。
信頼できる人間関係。それは、あなたを条件次第で認めたり認めなかったりする「振り回される」ような関係ではありません。
あなたをあなたとして愛しているし、大切に思っている……とおたがいが思いやれる関係だと思います。
それとか、話し合いができる対等な関係にも信頼は宿ることでしょう。
そうした人間関係の中で、心の重荷がゆるんでいって、ありのままの私、素顔の私で恋愛ができるかもしれません。
自尊心が小さく感じるとき
「私なんかが、愛されるわけがない」
そんなふうに思ってしまうことも、あるのかもしれません。
私自身、そう強く感じていました。
かつて、「ありのままの私」を認めてくれる人が、あまりいなかったのかもしれません。
「できる自分」の時だけ褒められたりすると、それは相手の価値に基づいて自分自身は判断されるわけです。
相手の期待と要求に応えることが出来た時だけ認められる環境にいたら、自分は相手次第になってしまいます。
そうなれば、本当の私を見てもらえていないことになります。
自分が望んでいること、やりたいこと、欲求は後回しにされてしまう。
そうなれば、自分がないがしろにされている気持ちになるのは当然でしょう。そして「私なんかが、愛されるわけがない」と感じられるのは自然でしょう。
でも、そうだとしても……
あなたは「私なんかが、愛されるわけがない」という感情・感覚・思考をはるかに超えた存在なのです。
誰かが言った「ダメだ」という言葉は、あなた自身の価値を決めるものではありません。
他人からの評価から一歩外に出ててもいいのです。
そして同時に「私のことは私が決める。決めてもいいんだ」と、小さいところから始めてみる……。
それは、自分の中に安心を芽生えさせる一歩になるかもしれません。
そんなあなたを応援してくれる仲間の中にいることで、「私は私でいいんだ」と自尊心を確かにしていくことができるかもしれません。
気持ちを表すのが難しいとき
言いたいことがあっても、なかなか言えないことがありますよね。私も「言いたいことが素直に言えない」ことで、しんどさを感じてきました。
気持ちを表に出したとき、否定されたり、笑われたり、冷たくされた経験があったのなら…
心は自然と、言葉を飲み込むようになるのかもしれません。
でも今、少しずつでいいのです。
自分の気持ちを感じながら「こんなふうに思っているよ」と、ほんの小さなことからでも、誰かに伝えてみる。
そのたびに、「伝えても大丈夫だった」という体験が、心の中に少しずつ積み重なっていくはずです。
言葉は心の橋。
あなたの気持ちは、伝えていいものなのです。
恋愛においても気持ちを伝えるのは、とっても大切な要素です。
付き合うことは話し合うことです。
ときには「今日はデートよりも自宅で休みたい」日があってもいいのです。
素直に「今日はゆっくり休ませてね。また今度、デートしようね」とお断りのメッセージを伝えてもいいのです。
「相手に気を使う」「相手ばかりに誠実になる」代わりに、自分自身の身持ちを確認する、自分に誠実になることで無理のない恋愛ができるでしょう。
自分との約束はとっても大切。相手のことばかり考えていたら、そこに気づいて自分の気持ちを感じましょう。
「焦っているかな」「無理してないかな」と自分の気持ちを感じる時間を生活に取り入れてください。
無力感を感じてしまうとき
「どうせ私なんかに、何もできない」
そんな思いが胸にあると、前に進むことさえ億劫になるかもしれません。
でも、もしかしたら、それは「そう思わされてきた」だけなのかもしれません。
小さい頃、頑張っても報われなかった。声を上げても、届かなかった。
あるいは「こんどの休みの日、どこか遊びにいきたい」と伝えても実現しなかった。
そうしたことが重なると、自分の計画はどうせ無駄に終わるのだ、と感じてしまう。何もできないような気がしてしまう。
でも今は、「できるかもしれない」と思う自由も、あなたの中にあります。
小さな選択からでもいいのです。
少しずつ、自分の手で選んで、動いてみる。
それが、無力感の霧を少しずつ晴らしてくれるかもしれません。
小さいことから始めてみましょう。
自分のことは自分で決めてみる。そして決めたことを考え直して、変更してもいいのです。
そうすることで決断という重さから自由になれるでしょう。
そして、ここから
あなたがどんなふうに感じていたとしても、それは「あなたが弱いから」ではありません。
「できてもいいですし、できなくてもいいのです」
「やってもいいですし、やらなくてもいいのです」
「みんなができることを、自分もできなくてはいけない」そんなふうに自分にプレッシャーを課す必要はまったくありません。
あなたが今、どんな感覚を持っていてもかまいません。そして、あなたは何がやりたいですか? どんな人と仲間になりたいですか?
私自身の中にも強くあった自己否定感……そんな自分をさらに責めてしまう代わりに、私のことを無条件に認めてくれる仲間がいれば、傷つきは少なくてすむでしょう。
自己肯定感を高める必要はないのです。自分で自分をなんとかしようという「闘い」をする代わりに、自分を大切にしてくれる環境を選んでみる。
自分にとって居心地のいいところに自分を連れていってあげることは、自分の欲求・ニーズを大切にすることです。
自分を責めすぎなくてもいい
わたしたちは自分を責めすぎなくていいのかもしれません。
もし今、恋愛がうまくいかないように感じても、わたしたちは恋愛を練習することも学び直すこともできるはずです。
どんな経験をしてきたとしても、
今ここから、自分と相手を大切にする恋愛を育てていくことは可能です。
その歩みは、急がなくて大丈夫。
あなたのペースで、一歩ずつ。
時折、恋愛で悩んでしまう自分を責めてしまうかもしれません。
でも、そうしたことがあっても、
「これも自分なんだな」とそっと認めてみる。
そうすることで、あなたのなかに安心感を少しずつ育てていくことでしょう。
たとえば「自分の欲求の伝え方」を知ることに注意を向けてみる。
自分を責めるのではなく、そっと「気持ちの伝え方」を見つめてみるところから始めてみませんか。
今の自分を知る。
「過去」ではなくて、今の自分に思いやってみる。
今を愉しむこと。
これらのいとなみは、ゆっくりと安心を芽生えさせていくことでしょう。
米国催眠士協会認定ヒプノセラピスト
わたなべいさお