
気がつくと、他人と比べている。
あの人は、もう次の段階に行っている。
あの人は、結果を出している。
あの人は、ちゃんと前に進んでいるように見える。
それに比べて、自分はどうだろう。
頑張っているつもりだけど、
でも、胸を張って「進んでいる」とも言えない。
そんな感覚が、ふとした瞬間に感じられる。
他人と比べるのは、あまりよくない。
でも、SNSを見たり、みんなの会話を聞いたりしてるだけで、
「自分はこんな感じでいいのかな」と、急に心細くなる。
「このままでいいのかな」
「新しいことをやるべきか」
「自分だけが、取り残されているのかな」
こうした考えが浮かぶと、
前に進んでいない“感じ”が、
じんわり感じられる。
そして「やっぱり自分はダメだ」と、決めつけてしまう。
でも、ここで少しだけ、立ち止まってみたい。
他人と比べたときに生まれる「進んでいない感じ」は、
必ずしも、実際の停滞を意味しているわけではない。
多くの場合、それは
「同じ速度で、同じ方向に進んでいない」
という違和感だ。
人は、無意識のうちに、
誰かと同じ道を、同じテンポで歩くことを
“前進”だと感じやすい。
けれど、人生の中で起きていることは、
そんなに揃ってはいない。
他人が勢いよく進んでいるように見えるとき、
その裏で、あなたの中では、
別の調整が起きていることがある。
たとえば、
これ以上、無理を重ねないためのブレーキ。
もう一度、同じやり方を繰り返さないための立ち止まり。
あるいは、過去に置き去りにしてきた感覚に
ようやく触れ始めた時間。
これらは、外からはほとんど見えない。
だから、比べた瞬間に、
「自分は、遅れているのかな」
「何もしていないのかな」
と、感じてしまう。
けれど実際には、
遅れているわけでもなく、
何もしていないのではなく、
“同じことをしていない”
という選択が起きていることも多い。
ひとと比べて苦しくなるとき、
多くの人は、さらに自分を駆り立てようとする。
「気合が足りないのかもしれない」
「もっと頑張らないと」
「考えているだけではダメだ」
そうやって、
自分の背中を強く押す。
けれど、その押し方が強すぎると、
身体や感覚は、かえって固まってしまう。
前に進めていない気がするとき、
本当にしんどいのは、
進んでいないことそのものよりも、
比べ続けている状態なのかもしれない。
比べているあいだ、
自分の内側で起きている微細な変化は、
ほとんど見えなくなる。
今、どこが疲れているのか。
どんな期待に、息苦しさを感じているのか。
どんな場面で、無意識に身構えているのか。
そうした感覚は、
他人の進み具合を基準にしている限り、
置き去りにされてしまう。
前に進めていないように感じるとき、
問いを少しだけ変えてみてもいい。
「どうすれば進めるか」ではなく、
「今、何から距離を取ろうとしているのか」
という問いに。
・誰の期待から、離れようとしているのか
・どんな役割を、いったん降りようとしているのか
・どんな生き方を、繰り返さないようにしているのか
そこには、
あなたなりの慎重さや、知恵が含まれていることがある。
他人と比べて進んでいないように見える時間は、
実は、これまでのやり方をそのまま続けないための
“間”なのかもしれない。
その“間”に、はっきりした答えが出なくてもいい。
目に見える成果がなくてもいい。
準備が整う前に、
無理に歩き出さなくていい。
前進は、決意や覚悟のかたちで訪れるとは限らない。
あるとき、
条件が少し変わっただけで、
自然に動けてしまうこともある。
もし今、
他人と比べて、
自分は前に進んでいない気がするとしたら。
それは、
遅れている証拠ではなく、自分のペースを探している最中なのかもしれない。
比べる手を、少し休めてみる。
評価する目を、少し緩めてみる。
前に進めていないように見えるこの時間も、
あなたの人生の流れの中に、
ちゃんと置いておいていい。
それでも、どうしても人と比べてしまうとき。
もしかしたら、
「みんなができることを、自分もできなければならない」
という考えを、
とても大切にしてきたのかもしれない。
その考えがあったからこそ、
ここまでやってこられた部分もある。
だから、簡単に手放せなくてもいい。
ただ、もしその考えが、
今の自分を苦しくしているとしたら。
「自分は、本当はどんなリズムで動く人なのか」
「どんなときに、少し楽になるのか」
そんなところから見ていってもいいのかもしれない。
そうして自分の感覚に触れていくうちに、
いつの間にか、
他人のことが前ほど気にならなくなることもある。
比べなくなろうとしなくていい。
ただ、自分の感覚に戻る時間が増えていく。
それだけで、
前に進めていないように見えた時間の意味が、
少し違って見えてくることがある。
わたなべいさお


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