失恋すると自分を責めてしまうのはなぜか――人は“出来事そのもの”ではなく“物語”を生きている

失恋して、どうしても立ち直れない。

喪失感で胸にぽっかり穴が空いた感じがする。

「自分はダメだ」「私は魅力がない」「幸せになれない」――そんな思いが、頭から離れない。

でも、それはあなたが弱いからじゃない。

失恋という出来事に、私たちは無意識に“意味”をつけてしまうからだ。

その意味づけの多くは、あなた自身のセルフイメージから生まれている。

この文章では、失恋から立ち直れない理由と、セルフイメージがつくる心の仕組みを、静かに、丁寧に紐解いていきます。

失恋から立ち直れない理由

失恋したそうだね。
とてもつらそうだね。

ずっと好きだった人を、ずっと思い続けていた。

その人に気持ちをオープンにしていた。気持ちをかたむけていた。

その人のことを想っていると、愉しかったし嬉しかった。

それが明日から、なくなってしまう。

とってもつらいよね。
名前を見るだけで胸がしめつけられたり、寝る前にふと思い出してしまう夜があるのかもしれない。

そして、こんなふうに思い悩んでいるかもしれない。

「自分はダメだ」
「私は魅力がない」

私はいつだってダメだ。私には魅力がないからだ。私は幸せになれない。そんなふうに思っているかもしれない。

でも、それでは失恋から立ち直るのが遠のくかもしれない。

やがて好きな人ができたとしても、積極的になれないかもしれない。

だったら、「好きな人なんて、また見つかるよね。次にいこう!」と思えばいいんだろうけど、それがなかなかだよね。

じゃあ、どうして失恋の経験を、たんなる経験として受け止められないんだろう。

「失恋の経験をした。ただ、それだけのこと」って思えない。むしろ「私はもうダメだ」「私に魅力がないからね」といった感じで、自分の値打ちを下げてしまう。なぜなんだろう。

ここで、伝えたいのは「人は、出来事を経験しない。出来事の意味を経験する」ということ。

人は出来事を経験しない。
その意味を経験する。

失恋という出来事に、人は意味を付ける。
意味を付ける時に、何かを参照して意味を付ける。そして、その意味を経験する。

私たちは、出来事に意味を見いだすことで、ようやく出来事を経験することができる。

どういうことだろう。
では、交通標識を例にして考えてみよう。

道路にある交通標識を見て「あ、一旦停止だ」と、自然にブレーキを踏む。

ただの記号(マーク)にすぎない交通標識を見てブレーキを踏むことができるのは、道路交通法というルールをもとに「ここで止まろう」と標識に意味をつけているから。

では、失恋はどうなんだろう。
失恋に意味をつけるとき、なにをもとにして意味をつけているんだろう。

失恋という経験に意味を付ける時の参照先のひとつがセルフイメージなんだ。だから「私には魅力がないからだ」「私は幸せになれないんだ」と、つい思ってしまうんだ。

失恋したから、「私は魅力がない」って思うのではなくて、
「私はこういう人間だよね」と自分の中でぼんやり決めてしまっている“私の印象(セルフイメージ)”があるから、失恋のたびに自分の値打ちを下げてしまう考えばかりになってしまうんだ。
そして、失恋をたんなる経験として受け止められないんだ。

失恋になんの意味もつけずに、それをたんなる出来事、経験だと思えたら、どんなに楽だろう。

でも、それはむずかしい。「失恋」の出来事や経験は「物語」になっているし、その「物語」の主人公は、この私だ。そのせいで、自分自身への印象であるセルフイメージは無視できない。

「あの時、こうしておけばよかった」
「でも私には自信がない。だからできなかった」
───やっぱり私たちは、セルフイメージでもって失恋の物語を意味づけてしまう。

恋愛がうまくいっているとき、「私っていきいきしてる」って、肯定的なセルフイメージで経験を物語ることができる。

でも、うまくいってないと「私っていまいちだな」って自分の値打ちをさげてしまう。

そして失恋してしまったら、いよいよ自分のことを大幅にディスカウントしてしまう……。

自分の価値を下げながら、失恋から立ち直るのは無理があるように思える。とても「また好きな人を見つけられるよ」って思えないだろう。

では、自信をもてばいいのだろうか。自己肯定感を上げると、次の恋へと踏み出せるのだろうか。

自信よりも必要なこと

「自己肯定感を上げましょう」って、よくいわれるよね。でも、これがうまくいかない。なぜなら「自分の価値を下げながら」自己を肯定するのは無理があるから。

自己肯定感を上げようとしても、自己否定感が顔をのぞかせるから。

自己肯定感と自己否定感は、コインの裏表の関係。表裏一体だから自己肯定感だけを残して、もう片方の自己否定感を捨てることはできない。自己肯定感を上げるのが難しいのは、そんな仕組みがあるからなんだ。

「でも、恋愛でうまくいってる人って、自信がある人ですよね?」「自信があるって魅力があること。やっぱり自信がないとモテないよね?」やっぱりセルフイメージを変えないと恋愛できないのかな。

たとえ、そうだとしても、じゃあ自己肯定感はどうやって上げられるか。そこは友達が必要だろう。

失恋をした。友達が「今回は、残念だったね。でも次こそうまくいくよ」と言ってくれる。「じゃあ次こそ、うまくやろう」と思える。そして、試行錯誤をしてみる。少しでもうまくいけば「あきらめないでよかった」と思える。そんな試行錯誤をしてきた自分自身を肯定できる。

あきらめないで、やってみる。自分なりにやってみる。試行錯誤をすることで、自分のことを肯定的に見ることができる。そうしたプロセスを支えてくれるのは、友達からの励ましだということがわかると思う。

そして、恋愛には悩みがつきもの。そんな悩みを話せる友達がいるのは、とてもありがたい。

もし、私があなたの友達なら、こんなふうに伝えるかもしれない。

「恋愛って、してもいいし、しなくてもいいんだよ」

「恋愛って、できてもいいし、できなくてもいいんだよ。みんなができていることを、あなたができてもいいし、できなくてもいいんだよ」

「みんなができることを、できることが、あなたの価値を決めるんじゃないよ」

「みんなができることを、できなくてもいいし、できてもいい。むしろ、みんなができないことを、できるところに、あなたの魅力が立ち現れるのかもしれない」

できてもいいし。できなくてもいい。
してもいいし、しなくてもいい。

もっといえば「恋愛はできる」ものじゃないし、恋人はつくるものでもない。

恋愛も、恋人も、ふたりの関係で育んでいくもの。

運命の人は出会うものではなくて、育てていくもの──。

昨日まで気に留めなかった人ですら、関係を育ち始めると、恋愛関係へと育っていくかもしれない。

そう思うと「まだまだ、これからだよね」と思えてくるかもしれない。

人は、思っているよりずっと静かに、ゆっくりと、また誰かを好きになっていくものです。

米国催眠士協会認定ヒプノセラピスト
わたなべいさお

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