あなたはこんなふうに思い悩んでいませんか?
「自分には、別の人生があったのではないか?」
「あの時、他の人と付き合っていたら、もっと幸せになれたはずなのに」
「あの時、別の仕事を選択していたら、もっと充実した人生になっていたのでは?」
年齢を重ねるにつれ「あの時、こうしておけばよかった」と思うようになります。
しかし、私はこう思うのです。
「あの時の選択、その時の判断のひとつ、ひとつが積みあがってこそ、今の自分がある」
奇想天外なSF映画には、タイムリープものがありますよね。それは、主人公が過去に戻るストーリーです。
けれど、タイムリープするにしても禁じ手があります。
どんな禁じ手があるかと言えば「過去に戻っても、過去の自分を変えてはいけない」というものです。
過去の自分を変えると、現在の自分を変えてしまいます。すると、現在に戻ってこられなくなる。
なんでもありの映画であっても、過去の自分を変えてはいけないのです。
つまり過去の「あの出来事」「あの選択」があるからこそ、現在の自分があるのです。
ですから、過去の自分の選択を悔んで嘆くよりも、現在の自分を認める方が生きやすくなるのです。
しかしながら、どうしてもこんなふうに思ってしまいます。
「あの時、あんな選択をするんじゃなかった!」
では、どうして「過去の自分の選択」を間違いだったと判断できるのでしょうか?
それは過去の選択について、現在の自分はいくらでも言えるからです。
人には後知恵というものがあります。時間が経過するにつれて、状況が明らかになるので、後になってから知恵がつくのです。
知恵がついているので、「あの時、こうすべきだった!」と、言えるのです。
さらに厄介なことが頭の中では起きてしまう。
人間というのは、「あの時、別の選択をした自分は幸せになれたはずだ」と決めつけてしまうのです。
どういうわけか、「別の選択をした自分」を理想化するのが人間なのです。
「良かった! あの時、違う別の選択をしていたら、私は絶対に不幸だ!」なんて、いちいち思わないのが人間なのです。
「あの時、転職しておけば、私は幸せになれたはずなのに」といった具合に、別の選択をした自分のことを「理想の私」として仕立て上げるのが人間なのです。
別の選択をした自分はいつも輝いているというわけです。
ひるがえって、「現在の私」は不幸だとみなしてしまう。
そうなると、頭の中で「理想の私」と「現在の私」とが戦います。
そして「理想の私」が必ず勝利します。ますます「現在の私」は、みじめに思えてきます。
「理想の私」と「現在の私」が頭の中で対立するから、つらくなるのです。
ここで気づいて欲しいことがあります。
「あの時、別の選択をしていた自分を、どうして理想化できるの?」と。
過去において、別の選択をした自分を、どうして理想化できるのでしょうか? そんな根拠なんてないはずなのに。
もっと言えば、別の選択すれば、現在の自分は存在していないのに……。
それでも、あなたはこう言うかも知れません。
「別の仕事をしていたら、幸せな人生だったはずだ」
「あの時、他の人と恋愛しておけば、今の私は幸せに決まっている」
しかし、別の選択をした自分に出会って、幸せになれているかどうか確かめるすべがありません。
過去、別の生き方を選んだ自分に会って幸せになれたかどうかなんて、確かめようがありません。
しかし、SF映画みたいに「別の選択をした自分」に会えるとしたら、どうなるでしょうか?
ありえないことですけど「あの時、別の生き方を選んだ自分」と「現在の自分」が、ホテルのロビーで待ち合わせをしたとしましょう。
さあ、あなたの目の前には「あの時、別の選択をした自分」がいますよ!
あなたは、どう感じますか?
目の前の「別の生き方を選んだ自分」を自分だと思えますか?
おそらく「別の生き方を選んだ自分」って、まるっきり今の自分とは違う他人に思えるはずです。
・・・やはり過去において、あの道を選んだ自分だからこそ、今の自分があるのではないでしょうか?
過去の艱難辛苦があった末に、今の自分がいるのですから。
過去の数々の選択のひとつでも変えてしまえば、今の自分は自分でありえないのです。
「いや、今の自分は自分じゃないんです。
こんなはずじゃないんです!」
そうですよね。現在の自分に不満があれば、そう思うのも無理ありません。
人は必ず「別の選択をした自分」を理想化します。そして、今の自分を否定するのです。「こんなはずじゃないんだ!」と。
でも、ここである真実に気づいてしまう。
どうあがいても「現在の自分」を生きるしかない・・・という真実です。
「現在の自分」を受け入れることが痛みに感じるならば、その痛みを避けるために過去を悔みます。「あの時、別の仕事を選んでいたら! どんなに良かったのに!」と過去の自分を責めます。
過去の自分の選択を責めることで、現在の自分自身に向き合うことを避けようとするのです・・・そして、現在の自分は置いてけぼりです。
現在の自分に向き合わず、頭の中は過去への後悔の念ばかりです。
なんだか、おかしいですよね。これではクルマのバックミラーを見ながら運転するみたいなものです。
やはり、フロントガラスをしっかり見て、運転した方がいいのではないでしょうか。
でも、過去のことが頭をよぎります。悔しさに心がかきむしられます。
ならば、過去の経験を学びに変えることは出来ないでしょうか。
過去の経験という学びを、これからの生き方の知恵として、使えないでしょうか。
過去の躓きとは、生きた学びだと思うのです。
過去の痛みを知恵に変えて、じゃあ、これからどう生きるか? について考えてみませんか?
過去の自分の選択を許すためにも、過去の経験を活かして、意識を未来に向けてみましょう。
なによりも、過去の自分の選択を許せることは、現在の自分を尊重することにつながります。
「十分、自分は学んだよ。こんどこそ上手くやれるよ」
「今までの自分はよくがんばった。そんな自分を誇りに思える」
あなたにとっての生きた学び・・・それが今までのあなたの人生の経験には、いっぱいあるはずです。
あなたはあなたの人生の専門家です。
あなたの人生をいちばんに理解しているのは、他の誰でもありません。あなたがいちばんに理解しています。
他の誰かに、あなたの生き方を批判される筋合いはありませんよ。
あなたの過去はあなたにしか歩めなかったのです。他の人では歩めませんでした。
だからこそ自分の過去の躓きは、自分にとっての貴重な学びです。
あの時の躓きは、あなたにしか知り得ない偉大な学びだったのではありませんか?
そう思えると、自分の人生に誇りが持てませんでしょうか。
現在の自分を。これからの自分を。誇りに思える。
過去のあなたは、現在のあなたを応援していますよ。「いい学びだった。じゃあもう一度、仲間と一緒に頑張っていこう」と。
どうして仲間と一緒に・・・なのかを最後に付け加えます。
「上手くできたね」「今回は残念だったけど、次は上手くいくよ」という仲間からの承認があるから、人は「じゃあ、次も頑張ろう」と思えるからです。
・・・私はあなたの人生を応援しています。
米国催眠士協会認定ヒプノセラピスト
わたなべいさお
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