見捨てられ不安とは、なんでしょうか?
見捨てられ不安とは「親子・恋人・夫婦・友人といった重要な人間関係において、
『いつか私は見限られるのではないか』
『関係が切られるのではないか』
と、強烈な孤独感によって不安にかられること」です。
見捨てられ不安には、以下の2つの成分が含まれています。
- 「私は価値がない」という自分へのイメージ
- 「人は信じられない」という他人へのイメージ
「私は価値がない」と考えているから、「私なんて簡単に見限られるんだ」と思うのです。
「人は信じられない」と考えているから、「この人も私から離れていくはずだ」と思うのです。
「私は価値がない」「人は信じられない」といったイメージは幼少期の見捨てられ体験によって作られます。
見捨てられ体験には次の3つの種類があります。
- 物理的
- 情緒的
- 親と子の曖昧な境界
それでは、見捨てられ体験の3つの種類と、
不安に対する対処において気をつけたいことをお話していきましょう。
幼少期の見捨てられ体験
見捨てられ不安とは幼少期の「見捨てられ体験」に起因します。
見捨てられ体験には以下のようなものがあります。
- 物理的なもの
- 情緒的なもの
- 親と子の境界が曖昧な場合
安心感、安全性、医療・教育など「子どもが健康に成長するために必要なこと」が家庭内で準備されていないと、物理的見捨てられが生まれます。
情緒的見捨てられとは、親によって子どもの欲求が満たされない、親が子どもに無関心であることで、起きてしまいます。
また親と子の境界が曖昧だと、子どもの尊厳が軽んじられるので、子どもは「私なんてどうでもいいんだ」と思います。
つまり家庭内に暴力・暴言・虐待がなくても、子どもは「見捨てられ」を体験するのです。
物理的な見捨てられ体験とは
物理的な見捨てられ体験とは、
・家庭環境に安全性が保たれていないとか、
・親の子への接触が少ないとか、
・子どもが健康に成長するための条件が家の中で整備されていなかった
以上のことで、生じます。
親などが子どもに安全な環境を提供できないと、子どもはこんな思い込みをします。
「人は信頼できない」
「世の中は危険だ」
「私は誰かから世話をされるほど価値がない」
そして大人になってから「どうせ私は、恋人に捨てられる」と恋愛で不安になったりするのです。
では、物理的な見捨てられ体験は、どのように生まれるのでしょうか。
それは以下の3つの状態において、生じます。
家庭環境に安全性が保たれていない
家庭内で暴力があり、身体的・性的に虐待があれば、家族に安全性があるとは言えません。
また、家族がすぐに声を荒げて激怒するなど、暴言が飛び交うのも、子どもにとって安心安全とは言えません。
親の子への接触が少ない
留守番ばかりさせられたとか。
親が子どもの気持ちを察しないとか。
「どうしたの?」と声を掛けない。
子どもの言うことを聞かないとか。
そういった親の子への接触が少ないことによって、適切な養育が家庭内で欠如しているといえます。
子どもが健康に成長するための条件が不十分
暑い夏には涼しい服を着せたり、寒い冬には暖かい食事を与えるなど、
子どもには食事はもちろん、清潔な衣服や快適な住居、医療や教育が与えられるべきです。
しかしながら、親が子を養育する余裕がなかったり、何を与えるべきか理解していないならば、子どもの発育に必要な条件は満たされません。
以上の3つの状態によって、物理的見捨てられ体験は生じてしまうのです。
情緒的な見捨てられ体験
「家には暴力や虐待はありませんでした。
しかし自分は親に大切にされませんでした」
このように情緒的に見捨てられた感覚を持ちながら、成人される方がおられます。
情緒的見捨てられには、次の2つのケースがあります。
親が子どもの心情に十分に関わることが出来ない
親が子どもの欲求やニーズに無関心であったり、
もしくは親に気持ちの余裕がない場合、
子どもは十分な愛情や気遣いを親から受けることができません。
条件付きで子どもが愛される
子どもは間違いもしますし、過ちもします。
また子どもは、泣いたり、ぐずったりすることで、欲求を周囲の大人たちに伝えます。
子どもにとって、やりたいことが出来て、自分が出来ることが増えるのは嬉しいものです。
しかしながら、親が子どもを無条件に愛さず、条件付きに愛するならば、どうなるでしょうか?
・子どもが間違いや過ちをしてしまった時、
「あんたみたいな子はいらない」と親が子に言うならば、それは子どもの存在を否定しています。
親は子どもの間違った行動、過ちに対して注意すべきなのです。
それなのに「あんたみたいな子はいらない」と言ってしまうと、子どもの存在を否定しています。
そして子どもは「自分はいらない人間だ」と思うでしょう。
・また、子どもはが泣いたり、ぐずったりするにつけ、
「いつまでも甘えるんじゃないよ」と子どもの気持ちを無視するならば、子どもは「自分は気持ちを出してはいけないんだ」と思うでしょう。
・子どもが「やりたいこと」が出来た時、
「お母さん! 見て! 出来たよ!」と子が言うと「いつまでも喜んでるじゃないよ」と親に言われてしまった。
すると子どもは喜びの感情を押し隠すでしょう。
以上のような親子のやり取りが常態化すると、
子どもは親の機嫌や顔色をうかがいながら、親が認める範囲のなかで生きることになります。
つまり子どもは本当の自分を隠します。
親から拒絶されるのを恐れて、自分の感情や欲求を抑えるのです。
やりたいことを我慢するのです。
子どもが何かをやり遂げても「親によってけなされる」ことを恐れます。
このことが、子どもからすれば「見捨てられ」となるのです。
たとえば「そんなことくらいで泣くな」とか、
「いつまでも怒ってるんじゃない」
あるいは「何を嫌がるの? ワガママ言うな」など、
親が子どもの素直な感情を受け止めないならば、子どもは「感情を持つことは悪いことだ」と思うでしょう。
そして自分の感情を抑え込むでしょう。
間違ったり、過ちを犯すたびに懲罰的に叱責されると、やりたいことを我慢するようになるでしょう。
「叱られるくらいなら、やめておこう」といった具合に。
感情の発露も、やりたいことも、親の顔色を伺いながらやるのです。
あるいは、親の気を引くために、親の機嫌を取るために勉強などに励む。
こうした「親の期待と要求に応じるために頑張る子ども」は、自分の欲求を後回しにする癖がつくでしょう。
自分の「やりたいこと」「ほしいもの」を我慢する子どもになります。
遊びやスポーツ、勉強で上手くいったとしても、褒められないばかりか、
「それくらいのことで、喜ぶな」
「油断するな」
といった具合に、上手くいったことを親に軽んじられたら、子どもはどう想うでしょうか?
「やる前にあきらめる」「チャレンジしない」ようになります。
ことほどさように、親の態度によって子どもが大人になるために身に着けるべき大切な要素の芽を摘んでしまうのです。
つまり、「感情や欲求を表現してはいけない」
「やりたいことをやるのは、わがままだ」
「自分は何をやっても認められない」
といった考え方を身に着けてしまいます。
結果として「自分自身を生きる」のではなくて、他人の期待や要求を満たすことが優先されるようになるのです。
そして、このような考えを信じ込んでしまうのです。
- 「相手から受け入れられない私は価値がない」
- 「自分の望みなんて誰にも分かってもらえない」
- 「人は怖い。人は信じられない」
こうした考えは、大人になってから人生に影を落とします。
あらゆる人間関係において見捨てられ不安を感じてしまうからです。
親子の曖昧な境界による見捨てられ
親と子の境界が明確でないと、親は子の尊厳を脅かします。
家族なのに、親子間の境界線を設けるとは「水臭い」と思われるかも知れません。
しかしながら、親も人間なら、子もひとりの人間なのです。
子どもは親の期待と要求を満たすために生きているわけではありません。
しかし親と子の間の境界が曖昧で不明確だと、子どもは親たちの期待と要求を満たすために生きることになります。
そうなると、どうなるでしょうか?
親子間の境界が曖昧で、親たちが子どもの尊厳を繰り返し侵犯するならば、どうなるでしょうか。
子どもは「自分はないがしろにされた」「自分は大切にされていない」と感じてしまうのです。
この感覚が、大人になって持ち越されると「見捨てられ不安」を感じやすくなります。
「どうせ私なんて大切にされないんだ」「だから、この人も私を捨てるはずだ」と。
では、子どもが親の期待や要求を満たすために動員されるとはなんでしょうか?
それは次のようなケースがみられます。
―小学校6年生の女の子に、妹や弟たちの世話を期待する。
―家族の介護を子どもたちにやらせる。
どれも、親は年齢不相応のことを、子どもにやらせています。
子どもは子どもとして生きる権利があります。
子どもとして生きることが出来て、大人へと巣立っていけるのです。
しかし子どもに大人みたいな役割を担わせると、子どもは子どもとして生きられません。
これは子どもの尊厳を親が脅かしていると言えます。
次は、親の悩みの解消を、子どもに丸投げするケースです。
―夫婦の緊張を和ます役目を子に負わせる。
―親の欲求不満解消の責任を子どもに負わせる。
親の問題は、自分の手で解消すべきです。
親の悩みの解消を、子どもに任せるのは、子どもの尊厳を軽視しています。
次の例は、しつけの対象が「子どもの存在そのもの」に向けられています。
―勉強で成績が悪いと「お前はまるっきりダメだ」と叱る。
―スポーツでミスをすると「プロになれる人間ではないな」と決めつける。
どれも行動ではなく子どもの存在を全否定しています。
以上のような親の態度によって、子どもは自分は「かけがえのない存在」だと親に認められていないと感じます。
親に認めてもらえないとなると、大人になってから承認欲求を満たすために、人間関係を作ろうとします。
そうなると、「私は承認されない」と感じるたびに「私は見捨てられたの?」と感じやすくなるのです。
「子どもが子どもとして」尊重されない例が他にもあります。
- 子どもをひとりの人間と考えていない。
- 親は自分の願望を叶えたくて、子に期待したり要求したりする。
- 子どもを、親の愚痴のはけ口として見なしている。
- 子どもの要求より、親の要求が優先されている。
- 親の要求を満たす責任が、子どもに押し付けられる。
- 親と子の区別がなくて、友達のような関係になっている。
- 子どもらしくふるまうことが許されない。
以上みてきたように「物理的」「情緒的」「曖昧な境界」によって、子どもの尊厳は軽視され、存在が否定されます。
そうなると子どもは「自分という存在に確信が持てなくなる」のです。
他人への信頼・自主性・積極性・自己信頼など、自分を支える基盤というものがあります。
自分への確かさといったものです。
確かさという軸を支えに人は生きていけるのです。
その確かさは、親に教えられ励まされながら、子どもは体得していきます。
しかし、継続的に見捨てられ体験を味わう家庭環境では、子どもに「自分への確かさという感覚」を身に付ける機会は乏しい。
よって子どもは「自分はどうでもいいのだ」という自己認識を抱いてしまいます。
これが見捨てられ不安を芽生えさせるのです。
こうして見捨てられ不安がつくられる
「ひとりの人間として尊重しない」という親からの否定的なメッセージによって、子どもは見捨てられ不安をかかえます。
- 「まずは親の期待と要求にこたえなさい」
- 「親に気を使いなさい」
- 「やりたいことをやってはいけない」
- 「感情を表すことはわがままだ」
これらの「否定的なメッセージ」を子どもが受け入れると、どうなるでしょうか?
子どもは「自分は生きるに値しない」「私はここにいていいのだろうか」といった存在不安を感じるのです。
さらに家庭内に安心感や安全性がないと、子どもは「世界は恐ろしい」と信じ込みます。
つまりは世界への恐れを抱くのです。
この「存在不安」と「恐れ」が、見捨てられ不安の背景にあるのです。
見捨てられ不安をかかえると、こんな悩みに苦しみます。
- 「自分の感情や考えを信じられない。自分が分からないのです」
- 「自分の駄目さ、至らなさが相手に悟られるのが恐いのです。だから親密になるのを避けてしまいます」
- 「いつか相手から見限られて別れを告げられると思うのです」
- 「いつも心にぽっかり穴が空いたような。空しさを感じるのです」
- 「恋愛しても、どうせ私なんて振られるに違いないって思うのです。心の中は疑ってばかりです」
- 「自分のことを受け入れてもらえたら、すぐに好きになってしまいます。いつも同じパターンの恋愛をしてしまいます」
- 「彼氏にしがみついてしまう。あれこれ言って相手を試すのです。嫌がられて距離を置かれてしまいます」
- 「別れを想像してしまって怖いのです。だから別れたいと言われる前に、先に別れてやれって思うのです。だから、いつも関係が長続きしません」
- 「相手の表情や言葉の裏をさぐってばかりします。だから人づきあいがしんどくて疲れます」
こうした思い悩み・・・見捨てられ不安の対処を間違えると、悩みは悪化します。
見捨てられ不安への対処で気をつけたいこと
見捨てられ不安への対処において、特に注意してほしいのが過去の抑圧の記憶を掘り起こすといったものです。
見捨てられ不安の原因は、過去の見捨てられ体験にあると言えども、過去の記憶を思い出す対処方法はおすすめ出来ません。
それは、なぜでしょうか。
「過去の見捨てられ体験の記憶」を思い出すことで、かえって苦しくなるからです。
では、詳しく説明していきます。
過去の記憶を「わざわざ」掘り起こさない
見捨てられ不安に対処するカウンセリングやセラピーでは、過去の抑圧された感情に向き合うやり方が主流です。
子ども時代の見捨てられ体験の記憶を思い出して、そのときの抑え込まれた感情を吐き出させるのです。
こうした「過去を掘り起こす」アプローチは止めた方がいいでしょう。
なぜなら過去の辛い体験がいつまでも頭から離れなくなるからです。
「私は親に褒められなかった!」
「私は親に無視された」
「私は親に大切にされなかった」
といった具合に、かえって苦しみが深まるのです。
今、感じられる見捨てられ不安の起源が、過去の子ども時代の体験にあるとしても、わざわざ埋もれた過去の記憶を掘り起こす必要はありません。
子ども時代の体験を思い出して、悲しみが深まったり、親への怒りが止まらず、かえって悩みが深まったケースは少なくないからです。
つらかった子どもの頃の体験を思い出しては「私は親に大切にされなかった」など、過去の悲しみ・悔しさが頭の中で渦巻くことで、しだいに過去が現在のあなたを支配してしまう・・・こうした状態は避けたいものです。
なぜなら自分自身の「いま」を「未来」を主体的に生きられないから、です。
「現在を、そして未来を望み通りにしたい」・・・けれど過去があなたを支配していると、どうなるでしょうか。
失敗するたびに「過去のせいだ」となり、「どうせ自分は変えられない。だって過去は変えられないから」と立ち直れなくなるでしょう。
ですから過去によって現在を決めさせてはいけないのです。
たとえ過去のつらい経験が今の自分に影響を与えていても、わざわざ過去を蒸し返す対処法を選ぶことはないのです。
見捨てられ不安を癒すのに、わざわざ過去を思い出す必要はないのです。
では、どうすれば解消できるのでしょうか?
このことを詳しく知りたい方は、次のページをお読みください。
心理セラピスト
わたなべいさお