アダルトチルドレンを克服するために「不条理な思い込み」を捨てよう

アダルトチルドレンは、悲観的になりがちです。

そして決めつけが多いです。

悲観的思考と決めつけ。

そしてこれらの背景にある「思い込み」を捨てない限り、アダルトチルドレンは克服できないのです。

では、どうしてそう言えるのでしょうか? このことを今から解説していきます。

アダルトチルドレンの生きづらさの原因「悲観的思考」「決めつけ」

アダルトチルドレンは、機能不全家族を生き抜いた人です。

家族は喧嘩ばかりしていました。

暴言が飛びかっていました。

親たちは不満を抱えていて、イライラしていました。

子どもは、遊びに行きたいのに、親が遊びに連れてくれないので、我慢させられてばかりでした。

今まで和やかな雰囲気だった家の中が、突然、喧嘩が起きるのです。

ですから、子どもは生きた心地がせず、気を使ってばかりでした。

「今は平和だけど、やがて悪くなる」と、子どもはそう信じてしまうのでした。

そんな家族で育つと、子どもは、こんなふうに思い込みます。

「他人は怖い」

「今、安心できても、状況はすぐに悪化する」

「どうせ結末は最悪になるはずだ」

「他人は裏切る」

「他人は信じられない」

つまり機能不全家族で育ったアダルトチルドレンは、「世界は怖い」「他人は信頼できない」と思い込みます。

だからアダルトチルドレンは、ものごとを悲観的に決めつけがちです。

「もう何もかもダメだ」

「もう人生は終わりだ」

「自分は惨めだ」

といった具合に、ものごとをネガティブに断定してしまうのです。

つまり、アダルトチルドレンは、どんなことでも悲観的に見てしまうし、柔軟性に乏しくて、決めつける傾向があるのです。

「あの人は、いつか私を裏切るはずだ」

「どうせ私の人生なんて不幸に決まっている」

・・・といった具合に悲観的、決めつけが多くなります。

悲観的、決めつけが多くなると、どうなるでしょう。

激しい怒りや悲しみ、抑うつに悩んでいます。

そして生きづらさを感じてしまいます。

たとえ、愉しい出来事があっても悲観的思考のせいで「きっと結末は悪くなるはずだ」と考えてしまいます。

ちょっとした他人の言葉でも極端に悪く解釈します。

「絶対、あいつは俺を馬鹿にしているんだ!」と決めつけて、怒りが止まらなくなります。

これでは、生きづらくなっても仕方ありません。

アダルトチルドレンの生きづらさの背景には、こうした「悲観的思考」「決めつけ」があるのです。

悲観的思考とは、物事を必要以上に悪くとらえて、悲惨な結果を想定することです。

たとえば、こんな感じで悲観して、悲惨な結末を予想します。

「お金がなくなると生きていけない」

「あの人が私から去ると恐ろしいことになる」

「仕事が上手くいかなかったら大変なことになる」

では、決めつけとは、どういうことでしょう。

それは、「こうでなければならない」と物事を決めつける(断定する)ことです。

たとえば以下の事例が「決めつけ」にあたります。

「他人は私にもっと優しくすべきだ」

「他人は私の気持ちを理解すべきだ」

「私はもっと稼がなくてはならない」

「子どもは親を大切にすべきだ」

「男性はいつも常にリーダーシップを取るべきだ」

では、これらの「悲観的思考」「決めつけ」によって、人生はどうなるでしょうか?

悲観的・決めつけによって深く悩んでしまう

「悲観的」「決めつけ」によって、悩みは深まります。

なぜなら、悩みとはたいてい、ものごとを同じ方向からしか見ないところから生じるからです。

「悲観的にしか物事を見られない」とは、物事の悲観的な側面しか見ないということです。

「決めつけてしまう」ことで、物事を断定的に見てしまいます。

いずれにしても、物事を同じ方向で見ています。だからこそ、悩み続けるのです。

ですから「悲観的な考え」「決めつけ」は、あなたを生きづらくさせるだけであって、幸せにしてはくれません。

悲観的思考と決めつけは、次の章で説明しています3つの不条理な思い込みによって作られます。

アダルトチルドレンを生きづらくさせる「不条理な思い込み」

アダルトチルドレンの「悲観的な考え」「決めつけ」は、次の3つの不条理な思い込みによって作られることが多いようです。

  1. 「私は誰からも認められなければならない」
  2. 「私は何事も完璧でなければならない」
  3. 「人生は自分の思いどおりに進まなくてはならない」

これらの思い込みは実現不可能です。

それゆえに不条理な思い込みだと言えます。

これらの「不条理な思い込み」を捨てないと感情は混乱するばかりです。

つまり人生は、生きづらさで満たされます。

どうしてかといえば、、、

「私は誰からも認められなければならない」という思い込みのせいで、「私は認められない」と感じた時、悲観的に思うからです。

そしてまた「私のことを誰も愛さない」と決めつけてしまうからです。

「完璧でなければならない」と思い込んでいたら、少しのミスでも落ち込んで、「もう私はダメだ」「人生、終わった」と、悲観的になって決めつけてしまいます。

「人生は自分の思いどおりに進まなくてはならない」と思い込んでいると悲観的思考になるし、決めつけが多くなります。

思い通りにいかないと「もう私はダメだ」と悲観的になり、「あの人は私を裏切る」「私は不幸だ」と悪い方に決めつけてしまうからです。

では、これから「3つの思い込み」について解説します。

あわせて対処法もお伝えしていきます。

ぜひ最後までお読みください。

「私は誰からも認められなければならない」

「私は他人から認められなければならない」

「私はみんなから愛されなければならない」

・・・こうした考えを思い込んでいたら、どうなるでしょう?

自分の価値を決めるのは、いつだって他人になってしまいます

「私は他人から認められなければならない」

「私はみんなから愛されなければならない」

・・・そうであるならば、自分の価値は他人次第になります。

なぜだと思いますか?

誰かが自分のことを認めない、愛してくれなければ「私には価値がない」「私は魅力がない」となるからです。

「私はみんなから愛されなければいけない」ならば、愛されない自分はダメな人になります。

「人から認められない私は間違っている」と考えてしまって、自己否定を強化してしまいます。

愛されない。認められないと、自分はダメだとなる。

愛されて、認められると、自分は好ましく思えます。

けれど、愛されず認められないと、、、。

そうです。自分の価値は「他人が決める」ことになってしまう・・・。

これは自分の力を他人に譲り渡していると言えるでしょう。

ですから「私は誰からも認められ愛されなければならない」という思い込みによって、いつも欲求不満で憂鬱になります

自分の力の源泉は他人にあり、愛され認められないと不全感でいっぱいになるから。

しかし、どうでしょうか?

いつも他人によるあなたへの評価は正しいのでしょうか?

他人は、あなたに対してあれこれ言ってくるでしょう。

たとえば「私にはきょうだいがいる。あなたは一人っ子だから寂しいんじゃない」と言われた。

しかし、きょうだいのせいで悩み苦しんでいる人は、この世に大勢います。

一人っ子の方が気楽だし、食べ物をきょうだいで取り合って喧嘩する必要もありません。

「私は行動が早い。あなたは何事も遅い」と言われたとしても、行動を早くすれば成功するとは限りません。

他人は、あれこれ口出しをしてきます。

あなたに意見を言うのは、他人の勝手です。

しかしながら、他人の意見によって「自分の価値」は決まりません。

他人の意見はたんなる意見であって、真実ではないのですから。

「他人から認められない自分は自分じゃない」ならば、いつも他人の意見に振り回されます。

他人に認めらないと自分に自信をもてません。

これは、とても不自由ではないでしょうか。

私の価値は私が決めるという態度があればこそ、あなたは自信をもつことができます。

自分らしく生きられます。

もちろん人から認められるのは嬉しいものです。

愛されるのは、うっとりするし、生きる喜びですよね。

しかしながら「私は人から認められて愛されなければいけない」となると、硬直した生き方になります。生きづらさしかなくなります。

「私は何事も完璧でなければならない」

「どんなことも完璧でありたい」という思い込みのせいで、かえって物事を成し遂げるのが困難になります。

完璧な状態にならないと行動できないからです。

何かやろうとしても途中でやめてしまいます。

なぜなら完璧な状況が続かないと、やる気が起きないからです。

また「完璧でないと意味はない」と考えていると、最後までやり遂げられません。

たとえ最後までやり遂げても、満足できません。

「ここがいけない。ここがダメだ」と、悪いところばかり見えてしまうからです。

完璧でないと満足できないため、自己肯定感を満たすハードルは高くなるばかりです

ですから、どうしても自己評価が低くなります。

アダルトチルドレンの自己評価の低さの理由のひとつに、完璧主義があります。

「何事も完璧でないといけない」となれば、自分と他人に厳しい基準を課してしまいます。

「こんな自分はダメだ!」「どうしてあなたは、いつもこうなの!」となる。

対人関係は窮屈になります。

ここで考え直したいのは「完璧ってあるの?」です。

自分も他人も完璧でしょうか?

世界は完璧なんでしょうか?

世界を白と黒で綺麗に区別することは無理です。

よく見れば、白と黒の間には無限のバリエーションがあります。

世界も私も他人も「あいまい」なのです。

まずは、自分のなかにある「完璧さ」を満たす基準を少しだけ下げてみましょう。

・仕事も家庭も完璧にこなしたい。

・完璧であるためにノーミスを心掛けている。

このような自分に厳しい基準を課していたら、見直してみましょう。

今までの体験を思い出してください。

まあまあでいいよね」と思う時の方が、とにかく仕事が片付きます。

完璧を目指していた時よりも、ずっと業務がはかどり、良い出来栄えだったはずです。

慎重さが「良い仕事」を約束するとは限らないから。

ゆるく、リラックスするなかで、思いがけないひらめきが生まれるものです。

「人生は私の思いどおりに進まなくてはならない」

「思い通りにならなくてはならない」という思い込みがあれば、いつも欲求が満たされず、イライラしてしまうでしょう。

「どうして私の言うことが聞けないの!」と、相手の行動に苛立ってしまいます。

仕事で思い通りに成功しないとか、新人や後輩が恵まれたりすると、とても焦りを覚えて腹も立ってくるでしょう。

「人生は私の思いどおりに進まないといけない」って考えていると、上手くいかない場合、「他人は幸せで私は恵まれていない!」とイライラしてしまう。

――他人は恵まれている。そう思えてならない。

「なんでアイツばかり!」「あの人ができるなら私だって!」という考えが強いならば、それは他人を基準にして生きているから。

「私は私だ。私の幸せは自分で決める」ならば、他人を気にせずに生きられます。

では、「人生は私の思いどおりに進まなくてはならない」という考えを弱めるには、どうすればいいでしょうか。

「どうして人生は今のままではいけないのか? 今のままではいけないという根拠はどこにあるのか?」と自分に問いかけましょう。

すると「いけない」と言い切れるだけの根拠がないことがわかります。

「私はやりたい仕事に就けなかった」

「友達は夢を実現できて、やりたい仕事をしている」

「私は不幸だ。友達は幸福だ」

・・・それって本当でしょうか?

本当だと言い切れるでしょうか?

仕事だけが人生なのでしょうか?

仕事があって人生・・・そうではないですよね。

人生があって仕事があるのですから。

自分のなかに仕事以外の要素はありませんか。

もっと自分って多様な存在ではないでしょうか。

自分には自分にしか感じられない幸せがある。

他人に自分の人生をとやかく言われる筋合いはない。

あなたのことを一番に知っているのは、あなたなのですから。

自分の力で「思い込み」を消そうとしないで!

アダルトチルドレンは「ひとりで頑張る」のが好きです。

悩みの解消すらも「自力で乗り越える」ことを選びます。

ちょっと待ってください。

いいですか?

自分でひとりで「思い込み」「悲観的思考」「決めつけ」を解消するのは止めてください。

生きづらさが深まるからです。

自力でやると時間がかかるのです。

また人間には盲点があります。

だから自力でアダルトチルドレンの生きづらさを解消するのは、無理があるからです。

どうか誰かの手を借りて、解消するようにしてください。

ここで、ひとつの解決策があります。

それが心理セラピーです。

ひとりで苦痛に向き合うのは辛いものです。

ですから、心理のプロと一緒になって解消していくことをお勧めします。

アダルトチルドレンの生きづらさを解消するセラピーの内容については、次のページをご覧ください。

機能不全家族をサバイブした人が抱える不安感のサイズを小さくする。
家族問題で悩んでいる方へのカウンセリングを実施しています。機能不全家族における悩みをひとりで抱えないで、ぜひカウンセラーにご相談ください。親子・兄弟姉妹・嫁姑・親戚との関係に悩む方にとって、誰かに苦しみを打ち明けることは解決のための一歩です。どうか孤独のなかで深刻にならないでください。

米国催眠士協会認定ヒプノセラピスト

わたなべいさお