見捨てられ不安から「本当の私」を取り戻す

見捨てられ不安とは、このように定義されます。

*親子・恋人・夫婦・友人・同僚といった重要な人間関係において「関係が切られるのではないか」「私はここにいていいのだろうか」と、深い不安を感じること――。

見捨てられ不安とは、どのような「不安」なのでしょう。

それは、「私はここにいていいのだろうか」という自分という存在への不安なのです。

「私という存在への確かさに不安を感じる」

「私がわからない」

「どこまで私なのか、わからない」

――これらが見捨てられ不安の背景にあります。

では、どうして私という存在に不安を感じるのでしょうか?

それは、次のような自己認識によってもたらされるのです。

私は価値がない

この自己認識が「不安」を呼び起こします。

「私ってダメな人間だ。なんの値打ちもない。だから、私は見捨てられるはずだ」といった思い込みが「不安」を高めるのです。

つまり見捨てられ不安の根っこには、「私は価値がない」という考えがあるのです。

「私は価値がない」という自己認識が、あなたにささやきます

「どうせ価値がないのだから、いつかは見限られるよ」と。

このように、ささやかれると不安になります。

不安で、心がいっぱいになります。

不安、孤独、悲しみ、ひとりぼっち……このような想いが、胸をしめつけます。

もう、いてもたってもいられなくなります。

少しでも恋人が心変わりを見せると、「もう私は終わりだ」と恐怖を感じる方もおられます。

私自身、見捨てられ不安にとても苦しみました。

まだ片思いなのに「どうせ私は振られるのだ」と、繰り返し考えてしまうのです。

待ち合わせ場所に、相手の人が必ず来ると分かっていながら、「来ないのではないか?」と疑ってしまうのです。

そして、このように自分を責めてしまうのです。

「私なんて何の値打ちもない人間だ。私に会いたい人なんていない」

見捨てられ不安が解消されるまで、私は恋愛や友人関係で気を使ってばかりでした。

「自分はダメだ」「自分が悪い」「私は孤独だ」という言葉が、マントラのように頭のなかで反芻するのは、とても苦しいものです。

「自分はダメだ」「自分が悪い」「私は孤独だ」……こうした「ささやき」には黙ってもらうしかありません。

けれど、なかなか黙ってくれません。

何かあれば、あなたに耳打ちします。

「どうせ、ひとりぼっちなんだよ」

「やっぱり私は幸せになれない」

こうした言葉が頭のなかで繰り返されると、どうしても見捨てられ感=孤独感を強く覚えてしまいます。

「私は価値がない」という自己認識が強いと、「どうせ私は、ひとりだ」という想いにさいなまれます。

では、この自己認識は、どこからやってきたのでしょうか?

この「私は価値がない」という自己認識は、子どもの頃に芽生えたものです。

子どもの頃からあるので、長年の蓄積ゆえに強固なのです。

だから「黙ってくれない」のです。解消するのが難しいのです。

では、子どもの頃に何があったのでしょうか?

なぜ「私は価値がない」という自己認識が芽生えたのでしょう。

それは親による「見捨てられ体験」です。

・親に大切にされなかった。愛されなかった。

・自分の気持ちを親に聞いてもらえなかった。

といった「自分という存在が尊重されなかった」体験があった場合、子どもはこのように感じます。

「自分は価値がない」

自分が大切にされないのは、価値がないからだ。だから、いつか私は見捨てられるだろう……。

こうした想いが、誰からもケアされなければ、どうなるでしょうか?

大人になってから、見捨てられ不安に悩むことになります。

幼少期の「見捨てられ体験」の記憶が、大人になってから「見捨てられ不安」として表面化するのです。

見捨てられ体験によって「私は価値がない」と、子どもは思い込んでしまう。

この思い込みが、見捨てられ不安として現在の大人の自分を悩ますのです。

では、どうすればいいのでしょうか?

まずひとつは、「本当の私を回復する」ことです。

ふたつめが「私は価値がない」という自己認識を「あなた」から切り離すのです。

では、具体的に説明していきましょう。

幼少期の「見捨てられ体験」は、その人から主体性を奪います。

子ども時代とは、大人になるために自己を形成する時期です。

そのような時期に、個人として尊重されない「見捨てられ体験」を味わうと、子どもは主体性、計画性、自主性を身につけることが困難になります。

よって見捨てられ体験を通じて、人は自己を喪失してしまうのです。

自己の喪失とは、個人の決定権が失われている状態です。

この自己喪失が、大人になっても癒されず、持ち越されると、どうなるでしょうか?

私がわからない」「どこまでが私か、わからない」という感覚に悩むことになります。

あなたは「本当の自分が出せない」と感じたことがありませんか?

そこには、自己の喪失があるのかもしれません。

自分を見失ってしまうと、

「相手あっての私。私は相手次第」

「私の価値を決めるのは相手次第」

といった感覚が人生を支配してしまいます。

よって人間関係、とりわけ恋愛においては相手と一体化を求めてしまいます。

どんなときも恋愛相手に受け止めて欲しいと願います。

私のことだけを見て欲しい。

私のすべてを理解して欲しい。

そして、あなたのことも全部知りたい…..と、渇望してしまいます。

「相手こそ私のすべて」となれば、相手の態度の変化に、見捨てられ不安が呼び起こされます。

たとえば、恋人が急に仕事が入ってデートが中止になると、パニックになります。

「どうしてなの! 私より仕事の方が大事だなんて!」

「私なんて、どうでもいいんだ!」と、見捨てられ不安が怒りに火をつけてしまいます。

あるいは「もう私は終わりだ」と目の前が真っ暗になる。

「もう私は終わりだ」「私と仕事。どっちが大事なの!」と、白か黒かの極端な考え方に至ってしまいます。

「白」か「黒」かの思考で、ほどほどのバランスをとるのが苦手な方は、少なくありません。

相手にしがみついたり、束縛したりしてしまうのも、相手と一体化しているからです。

相手との一体化を求めてしまうのは「自分と他人との境界」がないから。

自己を喪失しているからです。

こうして見捨てられ不安の背景には「自己を喪失している状態」があるのです。

だからこそ「本当の自分」を取り戻す必要があるのです。

見捨てられ不安を通じて「自分を見直す」きっかけにしたいものです。

では、自分を取り戻すには、どうすればいいでしょう?

それは「私は価値がない」という自己認識を解消することにあります。

見捨てられ不安の根っこにある否定的な自己認識の解消です。

それでは、どうすれば、解消できるでしょうか。

「私は価値がない」と自分のことを見なしてしまうと、「私には問題がある」ことになりますよね。

この「私には問題がある」「私イコール問題」という考えが、人を苦しめるのです。

そこで「私が問題ではないのだ」「問題が問題なのだ」と考えるのです。

そうです。あくまでも「見捨てられ不安が問題」なのであって、「あなた」が問題ではないのです。

「私はダメだ」とは「私には問題がある」と見なしているわけですよね。

そうではなくて「私が問題ではない」「問題が問題なのだから、その問題にはお引き取り頂こう」と考えるのです。

つまり「無価値観」「見捨てられ不安」「怒り」「悲しみ」「孤独」といった問題を、あなたから切り離すのです。

問題から切り離された「あなた」は、とてもパワフルです。

主体性を取り戻した「あなた」です。

自分の人生の主導権を取り戻した「あなた」です。

だからこそ「見捨てられ不安」に振り回されなくなるのです。

たとえ「私はダメだ」と感じさせる出来事があっても、「なんとかなる」と思える「あなた」になれるのです。

こうして「問題」を自分から切り離して、主体性を回復していくセラピーがあります。

セラピーについては、こちらをお読みください。

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