自分の親が毒親だからといって、もうこれ以上、悩み苦しむことはない。
毒親と接するだけでも苦しいはずだ。そこへさらなる苦しみをかかえることもない。だから、親が毒親だからと、思い悩むことはないと思う。
もうすでに苦しいのだから、「どうしてウチの親は、いつもこうなんだ」と腹を立てるよりも、家から独り立ちするなど、具体的な行動を起こした方が良い。
無い袖は振れないのと同じく、毒親に要求したり、責め立てたりしても、何もでてこない。だから、親に何かを求めても仕方がない。
でも、あなたはこんなふうに思うかも知れない。
「自分の子どもの時、親の間違った子育てのせいで、自分は苦しんだ」
「今の自分の生きづらさは、親の子育てのやり方のせいだ」
だから、親を責めたくなるし、謝罪を求めたくなる。けれど、毒親ほど子どもの苦労に気づけない。子どもの苦しみを認めて「私が悪かった」と詫びることを毒親はやりたがらない。なぜならば、そんなことをすると、親という存在の基盤が崩壊するからだ。
ところで、どうだろう。親なんてものは、たいしたことのない人物なのかもしれない。親といっても未熟者なのだ。未熟な人間が、子どもをもうけただけで、立派な親になれるはずもない。
親も子も、今生において初めて親子になれるわけだから、上手くいく方が難しいと思う。
だから親に期待をしても、自分が望むものが出てくることはめったにないと考えた方がいいと思う。親に期待と要求をするくらいなら、自分で自分を育てることの方が、よほど理に適っているだろう。なんとならば、親から離れて生きる時間の方が長いのだから、自己教育に専念した方が合理的だからだ。
そして、もはや別の家に生まれ変わることなんて出来ないのだから、「親が毒親だから、今の自分はこうなったんだ」と、考え込んで辛くなることはない。それよりも、家を出てひとり立ちした方が良い。
「あなたには反抗期がなかったのですね。だから、今のあなたは生きづらいのです」と、かんたんに言ってのける人がいる。そんな説明は、まったく役に立たない。
なんとならば、「自分には反抗期がなくて、だから生きづらいんだ」と、今さらわかったところで、どうしようもできないからだ。
生れる家を選ぶことはできない。親を選んで生まれてくることはできない。だから、自分自身がコントロールできないことに悩まされることは、あってはならない。
「今のあなたが生きづらいのは、あなたに反抗期がなかったからです」「親が、反抗期を許さなかったのです」という物言いはひどいものだ。だって、今さらそんなこと言われても、過去には戻れないのだから。
戻れない過去に目を向けるよりも、自分自身がコントロールできることは何か? そこを考えてみよう。
親は変えられない。けれど、自分自身の考え方・感じ方・悩み方は変えられるし、コントロールできる。
だから、親のことで悩むよりも、たとえば「楽しんで生きたい」「生きたいように生きたい」「自分なりの人生を創りたい」など、自分自身に意識を向けた方が良い。
毒親に向き合うよりも、自分自身のことを考える時間を増やした方がいい。
親というのは、自分の親からやってもらってないことを、自分の子どもに与えることはできない。
だから、毒親に対して期待したり、要求しても何も出てこないのだ。
あまつさえ「え? そんなことしたっけ? もう忘れたわ」と平気で言ってのけたりする。かえって、腹が立ってしまうことになる。
親と自分は、どちらが過去を生きているだろうか?
「子ども」よりもひと世代も上の人間が「親」というものだ。
毒親ほど、自分自身の過去の経験を、子どもに押し付けるだろう。それに従ってしまうと、子どもは「親の過去」を生きることになる。
「親の過去」を引きずって生きてしまうことになる。
ならば、あなたは過去に支配されるのではなくて、それ以外の「生きる」を選んだ方がいい。それこそ、毒親の支配から抜け出す道だろう。
心理セラピスト
わたなべいさお
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