人に甘えるのが苦手。
言いたいことが言えない……。
彼に甘えたいのに我慢してしまう。
素直に「寂しい」「会いたい」っていえない……。
そんな苦しさを感じていませんか?
この記事では、
- どうして「甘えられない」のか?
- 気持ちを素直に言えるようなるには?
この2点について、お話をしていきます。
最後に“甘え方の流儀”を具体的に紹介します。
「甘えられない」原因は親子関係にある?
「デートに誘いたいけど断られるのが怖い」
「職場で手伝ってほしいのにお願いできない」
そんな悩みを、私自身も抱えていました。
私は機能不全家族で育ちました。
「安心感」「安全性」「安らぎ」「個人として尊重される」など、そのような機能が私の実家にはなかったのです。
両親の仲は冷えていて、私が安心して弱音を吐ける雰囲気は家になくて「甘える」ということを覚える機会がなかったのです。
機能不全家族の特徴については、この記事をお読みください。

さて、私が大人になってから気づいたことがあります。
それは——
「甘えられない」のはすべて「家族のせい」ではないということでした。
もちろん、育った家庭の影響は大きいです。
けれども、それだけで一生が決まるわけではありません。
「甘える」というのは学び直すことができるし、
実際に私は少しずつ練習して、今は人に頼れるようになってきています。
大切なのは、
「甘えられない自分」を責めたり、
「家庭のせいでこうなったんだ」と決めつけて閉じこもることではありません。
むしろ、こう考えてみると楽になります。
-
甘えられるかどうかは「スキル」であって「才能」ではない。
-
「甘える」のは「わがままではない」
-
甘えられない自分は変えられる。
あなたが「甘えられない」と感じているなら、
それは 「問題」ではなくて「課題」 です。
あなたの人間性や魅力を否定するものではないのです。
「5つの感覚」が甘え下手にしている?
子どもが家庭内で満たしたいニーズというものがあります。
ニーズには、「安心感」「安全性」「安らぎ」「承認」「励まし」「成長」などがあります。
しかし、そうした子どもが求めるニーズを、なんらかの理由で親が満たせない場合があります。
そうした場合、子どもは次のような感覚を身につけやすくなるかもしれません。
- 「自分は大切にされない」
- 「他人を信じられない」
- 「私はなんてダメなんだ」
- 「気持ちを感じてはいけない」
- 「どうすることもできない」
これら「5つの感覚」が大人になっても持ち越すと、「甘えられない私」になるかもしれません。
どうしてそういえるのか。それぞれ解説していきます。
自分は大切にされない
甘えられない背景には「大切にされなかった経験」があるのかもしれません。
家族のなかで暴力・虐待があったり、絶えず親や家族が喧嘩しているといったことで、家庭内に安らぎや安全が確保されていないと、子どもは「自分はここにいていいのか」「自分なんていない方がいいのではないか」と感じてしまいがちです。
そうなれば「自分は大切にされないんだ」「私は愛されない」「理解されない」と思いこむようになります。
「私は大切にされないんだ」という認識があれば、人に甘えることは難しいでしょう。
たとえ甘えたとしても「どうせ自分なんか相手にされないだろう。断られるにちがいない」と考えてしまうからです。
他人を信じられない
甘えるとは、人を頼る、人に自分をゆだねることです。
それは、人を信頼できてこそ可能となります。
ですが、「他人は信じられない」という感覚があれば、甘えることはできないでしょう。
親がきまぐれで子どもを愛したり、愛さなかったりすると、子どもは親にゆだねることを難しく感じます。つまり甘えられなくなるのです。
休みの日に遊びに行く約束をしていた親は、かんたんに約束を破ります。
かまってくれていると思いきや、「いつまでもしつこいんだよ」と、急に子どもを冷たく扱います。
さっきまで穏やかだった両親が突然、大喧嘩を始めます。
母親は急に不機嫌になります。
お酒を飲むと父親はいつもとちがう人になります。
そうした家庭では、秩序というものがありません。
親はきまぐれだし、怖ろしいことが突然、起きたりするのです。
親の機嫌はすぐに変わります。
子どもを愛したり愛さなかったり。
家庭の中に確かなものがないのです。
そうなると子どもは、「人は信じられない」と考えます。
そうなると、人にお願いしたり、ゆだねたりするのはできない。甘えられないのです。
「私はなんてダメなんだ」
親に褒めてもらえなかった。
むしろけなされた。
承認されなかった。
あまつさえ、「もっと頑張れ」「しっかりしろ!」と言われてきた。
そうなると、「人を頼ることはいけないことなんだ」と子どもは感じても無理はありません。
さらにいえば、人が人として扱われない、尊重されない文化が家族にあるとすれば、そこで育つ娘・息子たちは自己否定感をかかえてしまう。「私はなんてダメなんだ」と思いこむわけです。
自己否定感が強いと、やる前から断念してしまう。「どうせ、なにをやってもダメだ」といった感じで「人に甘える」ことすら、あきらめてしまうのです。
たとえ子どもに「やりたいこと」があったとしましょう。
しかし、親は子どもを承認しない。褒めない。
「そんなことより、こっちをやれ」と口出しをする。
おねだりをしても一刀両断、すぐに拒絶される。
話も聞いてもらえない。聞いてくれても、めんどくさそうな態度を取られる。
そうなると、親に自分の欲求を伝えることができない。つまり、甘えられないのです。
家族・周囲の人たちに「やりたいこと」を伝えて、みんなで力を合わせて成し遂げる経験を持つことができません。つまり他人に「お願い」をする経験があまりなかった。
甘えられないのは、「他人にお願いをして何かを成し遂げた経験の乏しさ」にあるかもしれないのです。
気持ちを感じてはいけない
子どもが本来もっている欲求に「気持ちを表現したい」というものがあります。
しかし、子どもの気持ちを抑えるタイプの家族では、子どもは素直に気持ちを言えなくなります。
つまり、子どもは「感じてはいけない」「感情を素直に表現してはいけない」と考えがちになるのです。だから甘えられなくなるのです。
子どもが「さみしい」と泣きます。すると「そんなことくらいで。泣くな!」と親が激昂します。
すると子どもは「自分の感情を口に出してはいけないんだ」と思います。
あるいは「自分の感情は間違っているんだ」「自分は感じてはいけないんだ」と考えてしまう。
甘えるとは、「自分の気持ちを素直に感じて、それを率直に相手に伝える行為」そのものです。しかし「感じてはいけない」「感情を伝えてはいけない」と考えていると、甘えることは難しいはずです。
甘えるというのは「自分の気持ちを相手に開いてゆだねる」ことです。
しかしそのような行為をあまり歓迎しない家族だと、おねだりしても「あまえるな」と叱られるかもしれません。
学校での悲しい出来事を話してみても、親は叱るのです。「おまえが悪いんだ。もっとしっかりしろ」と。
親は子どもの悲しみを聞いてやらないのです。
そのような経験を重ねると、「自分は気持ちを相手に伝えてはいけないんだ」と子どもは思いこむ。そして大人になって甘えることが苦手に感じられるのです。
どうすることもできない
子どもに無力感を植え付けてしまう家があります。
この無力感が「自分の気持ちを伝えて、相手にゆだねる」ことを難しくさせるのです。
家族を支配しようとする親がいたとします。すると、子どもは親に束縛されます。親は、自由に行動したり考えたり発言したりすることを許しません。
なので「自分はどうすることもできない」「自分には、この状況を変える力はない」「なにをやっても無駄だ」という無力感に子どもは押しつぶされます。
無力感があると、「どうせ無理に決まっている」と、そんなふうに考えがちになります。
つまり「お願いしても、どうせ断られる」と、やる前から断念してしまうのです。
恋人に「次の休みの日にデートしたい」とお願いしたいのです。
しかし無力感があると「どうせ私は見捨てられるんだ」と悲観的に考えてしまうかもしれません。
無力感は、悲観的結末を想像させます。
「どうせ私の希望なんか聞いてもらえないわ」と、甘えることをあきらめてしまう背景に、無力感があるのです。
たとえデートをおねだりしてみても、恋人から断られることもあるでしょう。
「今回はダメだったけど、また誘えばいいや。彼氏はたまたま忙しかっただけなんだから」と、断られても気持ちを切り替えればいいのです。
しかし無力感が強いと「私の願いは叶えられない。なにをやって無駄だ。もう、おしまいだ」と悲観的になるでしょう。
そうなると、ますます「甘えることができない私」を経験してしまうかもしれません。
積極性を失わせ悲観的にさせてしまう無力感。
……そのせいで、周囲と相互依存関係を結べず「お願いごと」すらできなくなるやもしれないのです。
甘えられないのは自分のことを「後回し」にしているから
甘えるとは、自分の欲求を優先させることです。
しかし子どもの欲求を満たすことを後回しにする家族があります。
そのような家族では、子どもの甘えた態度は歓迎されません。
なので、親は子どもにこんな言いつけをします。
- 「甘えるんじゃないよ」
- 「お姉さんなんだから。しっかりしなさい」
- 「世の中は厳しいんだよ」
- 「いつまでも頼るんじゃない」
- 「そんなことでは立派な大人になれないよ」
- 「あの子みたいにしっかりしなさい」
- 「忙しいんだ。あっちにいきなさい」
- 「わがままいうんじゃないよ」
- 「あなたとちがって、私は苦労したわよ」
- 「あなたのために私は辛抱してるんだよ」
こんなことを言われ続けると、「甘える」ことは悪いことだと、子どもは思いこんでしまうでしょう。
そして大人になって、
甘えるのはわがままだ。
自分の欲求を優先させてはいけない。
まずは他人の期待と欲求を満たすために頑張るべきだ。
と考えてしまう。
甘えられないのは自分のことを後回しにしてしまう考えのためかもしれません。
甘え方の流儀を知ろう!
私たちは自分が産まれる家を選ぶことはできません。
親を選択して、この世に生まれることはできません。
そして、別の家族に産まれ直すことも不可能です。
ですから、たとえ実家に「甘えられない」理由を見つけても、どうすることもできないのです。
私が「実家のおかしさ」に気づいたのは、ずいぶん歳を重ねてからでした。
「どうやって甘えるの?」
甘え方を知らない私だけが、ただ取り残されました。
だからといって、生まれ変わることなんてできないのです。
家族は、私の人生に影を落としています。
そして、私は自分の人生を創りたいのです。
だからこそ、私は抜け道を探したのです。
つまり、こういうことです。
「甘えられないという私を認める」のと同時に「甘え方の流儀を身に着けよう」としたのです。
「親子関係」という問題は確かにある。
でも、私たちは産まれ直せない。
親のせいにしても、苦しいだけだ。
だったら、「甘え方の流儀」を知るという課題があるだけなんだと考えたいのです。
では、私がその流儀をごく簡単にシンプルにまとめましたので、引き続きお読みください。
「甘える」ための5つの流儀
流儀は5つあります。覚えていてください。
- 結果を求めない
- 気持ちを伝える
- 相手の意見を聞く
- 話を聞いてくれたことにお礼を言う
- 話題はひとつにしぼる
簡単ですよね?
では、それぞれ補足していきます。
結果を求めない
甘えられないのは、結果を気にしているから。
私たちは、結果を求めすぎるから「お願い」「お頼み」「おねだり」できないのです。
「どうせ彼は私の言うことを聞いてくれないわよ」
そんなふうに結果を気にしていると、身動きがとれなくなります。
甘えるコツは、結果を求めないことです。
断られたら、あっさり引く。
でも、あきらめない。
再度、チャレンジするのです。
「失敗したくない」
「傷つきたくない」
だから、相手が動くのを待つ。
そのような方も多いはず。
けれど、相手からはなんの連絡もなし。
悶々とした日々が続く。
そして「どうして私を大切にしてくれないのよ!」と怒ってしまう。
ついに彼氏に怒りをぶつけてしまうことに。
お気持ちはわかりますが、誰だって怒りをぶつけられたくはありません。大切な関係が壊れることもあるでしょう。
ですから、自分の気持ち・要望・意見を積極的に相手に伝えましょう。
結果を求めず率直に伝える。これは、関係を維持する秘訣なのです。
気持ちを伝える
人はたいてい、相手の主張を聞こうとは思いません。
しかし、相手の気持ちには耳を貸そうとします。
ですから「お願い」に「気持ちを」を添えて伝えるのです。
「こんどの休みの日に、あなたに会えたら、とっても嬉しいな」
といった感じで、気持ちも合わせて伝えましょう。
「会いたいんだけど」でもいいのですが、「会えたら嬉しい」と気持ちを一緒に伝えると、相手にこちらの主張を聞いてもらいやすくなります。
ふだんから気持ち言葉を集めてもいいでしょう。
「嬉しい」「ほっとできる」「安心できる」「楽しい(愉しい)」etc
こうした、ちょっとした遊び心で自分の気持ちを表現できるツールを探してみると愉しくなるでしょう。
相手の意見を聞く
自分の主張を伝えながら、相手の意見(反論)も受け入れます。
「こんどの休みの日に、会いたいな。会えたら嬉しいな」
「そうだな。でも、仕事が入ってるんだよ。忙しいんだよね」
このように伝えられたら、どうすればいいでしょうか。
「休みの日だけど仕事なのね。忙しいのね」・・・と、相手の意見をいったん受け入れましょう。
受け入れることで、こちらの主張を伝えやすくなるからです。
「休みの日は会えない」という相手の意見を「そうなんだね。仕事があるんだね」と、まずは受け入れます。
そして、「・・・でも、会いたいな。ちょっとでも会えたら嬉しい」と、「でも」という接続詞で切り返すのです。
それでも相手が主張を変えないなら、話を聞いてくれたことにお礼を伝えて、話し合いを終えます。
「・・・でも、会いたいな。ちょっとの時間でも、顔が見られたら私は嬉しいよ」と「でも」で切り返してみると、次のように展開が変わるかもしれません。
「・・・そうなんだね。だったら、別の日を空けておくから食事を一緒にしよう」と、埋め合わせ提案をしてくれるかもしれません。
望んでいない意見を相手が述べても、言い返さないことが大事です。
反論しないで、いったん受け入れます。そして「でも」で切り返して再主張してみましょう。もちろん気持ちを添えて。
話を聞いてくれたことにお礼を言う
こちらのお願いを相手が受け入れてくれても、拒否されても、必ず「気持ちを聞いてくれた」ことへのお礼を言います。
「今日は、私の話を聞いてくれて、ありがとう」
「私のために時間を空けてくれて、ありがとう」
お礼を伝えることで、次につなぎやすくなります。
また別の日に、「お願い」することができやすくなるからです。
話題はひとつにしぼる
お願いはひとつにしぼる。
「こんど美味しいお店に一緒に行きたい」というお願いをするのでしたら、その話題ひとつにしぼって伝えましょう。
話題をひとつにしぼることで、伝えたいことが明確になるからです。
あれも、これも話したくなるかもしれません。ですが、話したいことを「一点」にしぼって「具体的に」「率直に」「気持ちを添えて」伝えることで、主張を届けやすくなります。
お願いを拒否されるかもしれません。拒否されるのは、とても辛いですよね。思わず「なんでなのよ!」と言いたくなるでしょう。「あなたはいつもそうなんだから!」と過去を蒸し返したくなるかもしれません。
そうなると、話題をひとつにしぼることができなくなります。
拒否されても「わかったわ。今日は私の話を聞いてくれてありがとう」とお礼を言って、話を終えます。できれば、その場を立ち去ります。
その場を立ち去ることで、議論や反論を避けることができるからです。
そして、話し合いが終った後に「どうすれば相手にこちらの主張を受け入れてもらえるか」について、再検討してみるのです。
断られてもあきらめずに、伝え続けることが大事というわけです。
もちろん伝え続けても、拒否され拒絶されるかもしれません。そうなれば、相手との関係を今後どうしていくか? という新たな課題が生じるでしょう。
その課題をクリアするために、どのような主張を相手にすればいいか? どんな話し合いをすべきか? 考えてみましょう。やはり、あきらめないことなのです。
いちばん避けたいのは、感情的になって主張をぶつけることでしょう。
感情的にならないためにも「言いたいこと」「不満」をためこまないこと。
言いたいことを相手に率直に伝えることで、関係がスムーズにいくでしょう。
以心伝心なんてありません。
気持ちは口に出さないと相手に伝わりません。
今は苦手でも「甘え方の流儀」を使って、ご自身の気持ちを伝える。
「甘え方」の試行錯誤をくりかえしていきましょう。
話し合いは静かな場所で。テレビを消してスマホを見ないで伝えることです。
私自身、長年“甘えられない悩み”を抱えてきました。今は心理セラピストとして、多くの方の相談にのっています。
あなたも“甘え方の流儀”を試してみてください。きっと人との関係が、少しずつ変わり始めます。
米国催眠士協会ヒプノセラピスト
わたなべいさお
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