「機能している家族」と「機能していない家族」の違いとは?
「機能している家族はどのようなものなのか?」
「機能不全家族と、そうでない家族は何が違うのか?」
このようなご質問を相談者からよく伺います。
このページでは「機能していない家族」「機能している家族」の違いを説明します。
「子どもが親にお願いをしている」会話例を示しながら、両者の何が違うのかを明確にします。
最初は「機能していない家族」の親子の会話をとりあげます。
その次に「機能している家族」の会話例をあげます。
この2つの事例を比較することで両者の違いが浮かび上がり、何かに気づかれることでしょう。
ではまずは「機能していない家族」の父親と子どもの会話例を読んでください。
「機能していない家族」の会話事例
太郎「お父さん! お母さん! サッカーの試合のスケジュールが決まったよ。お父さんもお母さんも見に来てくれるの?」
父親「そうだな。見に行きたいね」
A君「来てくれるの?」
父親「行くよ。おまえがシュートを決めるところを見たいからね。いつあるんだい」
A君「最初の試合は今度の日曜日にあって、試合は6回あるんだ」
父親「頑張れよ。しっかり練習しないとな」
A君「頑張るよ。練習もしてるよ」
父親「友達の田中君も試合に出るのか?」
A君「田中君も試合にでるよ」
父親「そうなんだね」
A君「お父さんとお母さんは全部の試合に見に来てくれるの?」
父親「田中君も試合に出るんんだな?」
A君「そうだよ。田中君も出るよ。お父さんとお母さんは全部の試合に来てくれる?」
父親「ああ、行けたらな。行ける時は行くよ」
A君「お母さんも?」
父親「二人で行けたらな」
さて、A君の約束は「すべての試合にお父さんとお母さんが一緒に来てくれる」というものです。
この約束は試合がくるたびに子どもから繰り返されました。
そして両親が試合に来たのは2試合だけでした。
子どもからすれば、どの試合に来るかどうかまったくわからないのです。
両親は毎回、試合に行くと約束しながら、来ない時がある。
子どもは両親が来たり来なかったりする理由がわからないのです。
つまり親の発言や行動がきまぐれなのです。一貫性がないのです。これこそ機能不全家族の親の態度なのです。
ちなみに両親が試合に見に来た理由とは、田中君の親に会うためだったのです。
その目的とは、サッカーグラウンドで田中君の親に姿を見せることで「子どもの試合を見に行く熱心な親」であることを示して「体裁」「世間体」を保つためだったのです。
もう一日は、ショッピングモールに行くついでに寄ったのでした。
つまり両親のニーズに合致した時だけ、子どもの約束は果たされたのでした。
しかしそんな理由があったなんて、子どもはまったく理解できません。
試合に行かない日、両親は子どもに言い訳をしました。
それでも子どもが理解しないと両親はイライラし出して「もういい加減にしなさい」と怒ったのです。
つまり両親は子どもの切実な願望である「両親に来てほしい」「試合に来れない日、来れる日は教えてほしい」に本気で向き合おうとしなかったのです。
このようにして、子どもは両親の行動に一貫性を感じることができなくなり、計画性を身につける機会を得ることができませんでした。
自分の願望を他者に打ち明けて、協力を取り付けて、計画を立てて実現していくという体験ができませんでした。
「願望を他者に伝えてもいいのだ」「他者に期待をしてもいいのだ」といった、大人になるための必要な学びの機会を失ったのです。
さらに両親は子どもの態度、、、「試合に来てほしい」という態度しか見ていません。そして、態度に向かって怒ったのです。
どうして子どもは試合に来てほしいのかという、子どもの気持ちや意思を受け止めてあげることをしなかったのです。
子どもは親に自分が活躍している姿を見てほしかったのです。
しかし子どものその願いを、親は知ろうともしませんでした。
では「機能している家族」ではどのような会話になるか。次の会話文を読んでください。
「機能している家族」の会話事例
B君「お父さん! お母さん! サッカーの試合のスケジュールが決まったよ。お父さんもお母さんも見に来てくれるの?」
父親「お父さんとお母さんに試合に見に来てほしいんだね。わかったよ」
B君「お父さんとお母さんが見に来てくれるのが嬉しい。いっぱい練習したんだよ。6試合全部に出るんだよ。見てほしいんだよ」
父親「嬉しいんだね。いっぱい練習して、全部に試合に出るんだね。すごいね」
B君「全部の試合に来てくれる?」
父親「全部かどうかわからないね。お父さんもお母さんも仕事があるからね。
じゃあ、試合のある日をカレンダーに書いておくね。それを見ながら行ける日を決めるね」
B君「そっか。お父さんもお母さんも一緒に見に来てほしいんだけど、仕事がある日はどうなるの?」
父親「そうだな。どうしてほしい?」
B君「うーん。じゃあ、お姉ちゃんが来るとか……かな。それとか、みんなでファミレスに行くとか」
父親「そうだな。どんな試合だったかファミレスで話を聞くよ。まあ、試合に行けない日をどうするか考えとくよ」
B君「ぼく、シュート決めるよ」
父親「わかった。でもお父さんは試合に出ることだけでも嬉しいし、おまえを誇りに思うね」
読まれていかがだったでしょうか?
つまり「子どもの要求を全部飲む」のが健全であり機能している家族ではないのです。
「機能している家族」では両親は子どもの願望「お父さんとお母さんに試合に見に来てほしいんだね。わかったよ」と、たずねて子どもの要求を認めています。
さらに「すべての試合に参加できない」という自分たちの事情をきちんと伝えています。
「嬉しいんだね」「試合に行けない日はどうしてほしい?」
と、子どもが自分の感情や希望を伝えることをうながしています。そして子どもの試合への想いを受け止めています。
子どもは両親に期待して良いんだってことが、安心感とともに明確にわかります。
スケジュールがカレンダーに書き込まれたからです。
そして、シュートを決めて活躍できるかどうか関係なく、子どもの存在は認められました。
B君は計画をつくる機会を与えられ、自分の計画の結果を信じてもいいのだ、と学んだのです。
こういった信頼感は、次の計画をつくることをうながし、人生を動かしていく手ごたえをつかむことに成功しました。
しかしA君のような育て方がされる家族では、他者を信じてもいいのだ、という信頼感を育むことが難しいのです。
また、計画を立てて継続的にじっくり取り組むという学びを得にくいのです。
そうなれば究極的にいえば、自分の能力を信じることができないのです。
大人になっても感じる生きづらさの源泉が家族にあることが、ここまで読まれて理解できるかと思います。
機能不全家族の問題点とは?
子どもは家族のなかで安全に安心感に包まれながら生きる権利があります。
子どもは親から子どもとして尊重されなければいけません。
すなわち子どもが本来的に持っている人権が尊重される必要があるのです。
しかしながら、今まで解説してきました通り、機能不全家族では子どもの人権は尊重されず、侵犯されることすらあります。
ここに最大の問題点があるのです。
子どもは人として、自分自身の欲求や願望、心、感情を掴んで、それを周囲に表現したり主張したりする権利は当然あります。
子どもは適切に食べ物、衛生、医療、教育等を享受する権利があります。
子どもは自分の身体を本人の許可もなく他人に触られるものではなくて、それは人の権利として当然あります。
しかしながら、機能不全家族を生き抜くことで、子どもの人権は侵されやすいのです。
子ども時代における人権への侵害を起因として、大人になってから生きづらさを抱えてしまうことがあります。
日常生活でふと感じる漠然とした不安や、
いつも過酷に自分のことを責めてしまったり、
罪悪感を抱いたり、
自分の心に率直になって意見を主張できずらいなど、
さまざまな生きづらさがあります。
こうした家族関係に起因する生きづらさを、どのように扱えばいいのでしょう。
このことをお伝えするページを用意していますので、お読み頂ければと思います。
米国催眠士協会認定セラピスト
わたなべいさお
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