機能不全家族で育つと幸せになれないの?

人間が、幸せになるためには「ある条件」があります。

それは自己決定権です。

ちなみに、次のような立場に置かれたら、あなたはどう思いますか?

  • あなたには職業を選ぶ自由はありません。
  • あなたに人間関係を選ぶ自由はありません。
  • あなたは自由に住みたい場所を選ぶことは出来ません。
  • あなたには自由に感じたり考えたりする権利はありません。
  • あなたは自分自身の生き方を自由に決めてはいけません。

・・・どう思いましたか? こんな状況で、幸せだと思えますか?

思えないですよね。つまり自己決定権がないと人は幸せになれないのです。

あなたに自己決定権があることで、自分の人生を自分の手であなたはコントロールできます。

しかしながら、自分の人生をコントロールできないと、他人に振り回されます。「自分は他人次第」となるからです。

「自分は他人次第」となると、他人の思惑に振り回されることが多くなります。

つまり他人に支配されたり、裏切られたり、利用されることが多くなります。幸せになれないのです。

さて、この自己決定権を人から奪い去る「家族」があります。それが機能不全家族です。

「幸せになりたい」と思うけど、何か足を引っ張るものを感じるのでしたら、家族と自分との関係を考えてもいいかも知れません。

では、「幸せになるためには?」と「機能不全家族で育つと幸せになれないのか?」について、これからお話をしていきます。

幸せになるための条件

幸せになるために不可欠な価値観・・・それは「自己決定権」です。

いろんな人からアドバイスをもらっても、最後は自分が決める。これが自己決定権です。

ひるがえって他人の意見に従ってばかりだと、他人の人生を生きることになります。

いつしか他人の意見やアドバイスがないと、自分で決めることが出来なくなります。

もちろん他人に相談することは必要でしょう。

しかし「他人の意見を聞く」ことと、「意見に従う」のは、まったく意味が違います。

他人の意見を参考にしても、最後は自分で決めるという態度があればこそ、自分の生き方を貫けます。

他人の意見に従って生きてきた人は、失敗の原因を他人のせいにできます。

「あなたの言う通りにしたら失敗したわよ!」と他人を憎みます。すると人生は憎しみだらけになるでしょう。

やはり自分で決めることで、人は幸せになれます。

自分で決めた結果、失敗した。ならば、他人のせいには出来ない。

ですから自分で決められるためには、自分の人生の責任は自分にあるという態度が必要になります。

しかしながら、人は「自分の人生の責任を取る」のを避けたいものです。重荷に感じるからです。

けれど自分の人生に責任が取れないとなると、思い切ったことは出来なくなるでしょう。

そして失敗したら「あの人のせいだ」と、失敗の責任を他人になすりつけることになります。すると、人を恨む人生になります。

自分が自分の人生の責任を取らないと、思い切ったことができないし、失敗したら他人のせいにしたくなります。

失敗するたびに(不幸を感じるたびに)他人を恨んでしまって、人間関係を遠ざけてしまう。

・・・これでは幸せな人生と言えませんよね。

やはり幸せになるためには、人生の主導権は「あなた」が握ってください。

「自分が決める」・・・これが幸せになるためのキーワードです。

しかし、あなたが人生の主導権を握ろうとすると邪魔をしてくる家族があります。それが機能不全家族です。

このことを、次の章でお話をします。

自分で決める態度を認めない家族

機能不全家族には「自分で決める態度」は認められません。

なぜなら機能不全家族では、子どもは個人として尊重されないからです。

機能不全家族では、子どもの欲求は後回しにされて、親の期待と要求が優先されるのです。

子どもの第一目標とは「親の要求と期待を満たすこと」なのです。それが出来てから、ようやく子どもの欲求に親がこたえるのです。

親の思惑にこたえないことを子どもがやろうとすると、親はそれを制止するのが機能不全家族の特徴です。

すなわち次のように子どもが何かをやろうとすると、親は妨害するのです。

  • 「あなたはそれに向いていない」
  • 「どこで誰と何をするか。親の私に言いなさい」
  • 「そんな人と付き合ってはいけない」
  • 「そんな学校に行ってどうするんだ!」
  • 「そんな職業についてはいけない」
  • 「親を置いて家を出てはいけない」
  • 「そんな人と結婚してはいけない」
  • 「こんな人と結婚しなさい」
  • 「あなたにはこんな学校が向いている」
  • 「こんな職業につきなさい」
  • 「そんなふうに考えてはいけない」
  • 「そんなふうに感じてはいけない」
  • 「こんなことを子どもが言うもんじゃない」

・・・このように口出しをする親は、機能不全家族では少なくありません。

よって、子どもは「自分のことは自分で決めて良いのだ」という感覚を持てないのです。

つまり機能不全家族では、子どもの自己決定権を育むことができないのです。

機能不全家族の親や子供は「自分で決める態度」と「自分の人生に責任を持つ」ことの大切さを知りません。

それよりも、お互いを束縛しあり、縛りつけ合うのです。

娘・息子が大人になって実家を出て一人暮らしをしようものなら、「親を置いて出ていくのか!」と言われたりします。

とうてい「個人」は尊重されず、自由なんてありません。自己決定権なんて認められません。

よって機能不全家族で育つと「私の幸せは自分で決める」「幸せは私が手に入れる」という感覚を持てないのです。つまり「何が自分にとって幸せなのか?」について分からなくなる。

  • 何が、自分にとっての「幸せ」なのか?
  • そもそも自分とは?
  • どこまでが自分なのか?
  • 自分はいったい何がしたいのか?
  • 自分は何をすれば幸せだと感じられるの?

・・・機能不全家族で育った人たちは、これらのことがわかりにくいのです。

よく「あなたが好きなことをしましょう」と、いわれますよね?

けれど、機能不全家族で育った人は、こう思うかも知れません。

「私は好きなことをしたいのです。けれど家族が私を邪魔をするのです」

「私は一生懸命に生きているのです。親が、他人が、私を不幸にするのです」

わかります。そうした想いはとても切実であることを、私は理解できます。

いくら自分で決めて生きようとしても、不幸は他人によってもたらされるといった感覚が私たちにはあることでしょう。

親はいつまでも自分に迷惑をかけます。

家族にはずっと問題が横たわっています。

自分は幸せに生きたいと思っているけど、親が邪魔をしてくる。

あまつさえ仕事や恋愛、友人関係はいつも上手くいかない。それも他人が私の気持ちを察しないからだ・・・。

そうした想いがあれば、自分の不幸を他人のせいにしたくなるでしょう。

「幸せはあなたが決める」っていわれても「自分は幸せになりたいんだ。けれど親が邪魔をしてくるんだ」と考えてしまうのも無理はありません。

やっぱり私たち機能不全家族で育った人たちは、幸せを感じることが難しいのでしょうか?

ここで、視点を変えていきたいと思います。

引き続き次の章をお読みください。

幸せになるために「自他の境界」を作ろう

機能不全家族では、家族同士の境界があいまいです。

しかし人間関係において境界はあいまいだと、しんどくなりますよ。

人間関係には自他の境界が不可欠です。

自分と他人との間には侵してはいけない境界線があるのです。

しかしながら、この「自他の境界線」が絶えず侵犯されてしまうのが機能不全家族です。

本来、いくら家族であってもお互いに「境界」があります。

子ども宛ての手紙を、親は勝手に開封して手紙を読むべきではないでしょう。

親は子どもの身体にふれて、じゃれあうことはあるでしょう。しかし「もう、それ以上はやめてね」と子どもが言うと、親はじゃれあうのをやめるべきでしょう。

子どもと親が水鉄砲で遊びます。子どもが水鉄砲を親に向けます。ほどなくして親が「もうやめてね。本気だよ」というと、子どもは水鉄砲を親に向けるのをやめます。

つまり「本気だよ」という合図で「やめる」という決まりごとが家族のなかにはあるのです。

しかし機能不全家族では「もうやめてね」「本気だよ」と言うとストップする決まりがありません。

「トイレに入るとドアを閉める」「大人が裸で家のなかを歩き回らない」「やたらと相手の身体をさわらない」「相手が嫌がることはやってはいけない」というのも「家族の決まり」でしょう。

なぜそういった「家族の決まり」があると思いますか?

それはおたがいの境界を尊重するためです。

いくら家族であっても相手の意志を尊重するのです。

しかしながら機能不全家族では物理的・心理的境界は曖昧なのです。

親は子どもの身体を、やたら触ります。「もうやめて。本気よ」と子どもが親に言っても、聞いてもらえませんでした。

「私が結婚するかどうかは、私が決めるから」と娘さんや息子さんが親に訴えても、親は聴き入れません。

子どもが20歳を超えても、親はいつまでも子どもの行動に口出しをします。

「どうして? 親だから当然でしょ?」と親は子どもに干渉します。

つまり機能不全家族では親と子どもの間には境界線がありません。

よって娘や息子の自己決定権は親によって無視されるのです。

このように親と子の境界を尊重しない家族のなかで育つと、「自分のもの」が本当に自分のものなのか分からなくなるのです。

どこまでが自分なのか。なにが自分なのか。分からなくなるのです。

つまり自分と他人の間のどこに線を引けば良いのか分からなくなるのです。

そうなると・・・自他の境界線がないと、他人に侵犯されてしまう。

他人から要求されても「いやだな」と思いながら、受け入れてしまいます。

「受け入れたくない」「断りたい」という判断の基準が自分の中にないからです。

「ここまでは私。これ以上は受け入れません」といった判断の基準がないと、どうなるでしょう?

なんでも他人の言うことに従ってしまいます。

イヤなことも他人から押し付けられます。

我慢しながら相手の言い分を受け入れてしまいます。

他人から騙され、裏切られ、利用されがちになるでしょう。

つまり幸せになれないのです。

やっぱり自分と他人との境界線は、幸せになるためには必要不可欠です。

幸せになるために「私」と「他人」の境界線が不可欠なのは、他人の言いなりになってしまうことで悔しい想いをするのを回避するためです。

「私は私だ」「あなたは、あなただ」という境界線。

「私は私だ」という態度は、自己決定権がないと成り立ちません。

ですから自己決定権を持つためには、自他の境界線が必要と言えます。

自己決定権を持つためには境界線が必要なのですが、具体的には「断る」ことが鍵となります。

「断れない人」は幸せになれない

「NO」と言えないと、自己決定権を自分のものに出来ません。

断ることが出来ないと、いつもいつも他人の要求を受け入れてしまいます。

他人に従属してしまいます。

これでは幸せになれないでしょう。

つまり断ることが出来ないと自己決定権はもてず、他人との境界線はなくなります。

相手の言いなりになり、自分らしさを発揮できません。幸せを実感できません。

断れない人は、幸せになれないのです。

しかしながら境界があいまいな機能不全家族で育つと、自分と他人を明確に区別することを習得できません。よって「NO」とは言いずらいのです。

けれど、自他の境界を守るためには「NO」と言える態度・・・断ることが必要です。

「NO」と言えず、断れず、自分で決めれないとなると、、、

どこにも「自分」がありません。

幸せを感じられなくなるでしょう。

けれど、機能不全家族で育つ人たちにとって相手に対して「お断りします」と主張するのは大きなチャレンジに思えるかもしれません。

もし、そうであるならば、このように言いましょう。

「ちょっと待って。今すぐ決められないから後で返事させてね」

相手から何かを要求されて、気が乗らない、嫌だなって思えたら、とりあえずは「ちょっと待ってね。後で返事させてね」と言いましょう。

幸せとは自分が感じられるもののことです。

ということは、幸せは自分自身で決めることです。

幸せは自分自身で決める・・・ならば、自分のリズムで生きたい。

やはり幸せになるために「自分で決める」ことはとっても大切ですよね。

けれど自分で決めるのは苦手で、どうも他人の影響を受けやすいと思っているならば、「断る」ことを覚えましょう。

断るのが難しいなら「ちょっと待ってね」と回答を遅らせる戦略をとりましょう。

機能不全家族で育ったから、幸せになれない・・・私はそうは思いません。

「断る」ことを覚えるだけでも、自分の価値観を守れます。自分の幸せを守れます。

自己決定権にはリソースが必要

自分で決めるためには、自信が必要です。

自信がないと「失敗するのは怖いな」「何を選べばいいかわからない」となるでしょう。

よって、自分で選んだり決めたりすることに困難さを感じるでしょう。

ですから、自己決定権には「自信」というリソースが不可欠なのです。

では、どうすれば自信を身に着けられるでしょうか。それは試行錯誤を繰り返すことです。

思い通りに行かない時、私たちは壁を感じます。その壁をどうやって乗り換えられるか。ゆっくりやってみるか。前に進むべきか、今は待つべきか。誰かの協力をもらいながら試してみるか。

壁を感じたら、いろんな試行錯誤のプロセスを大事にしましょう。

ゆっくりでいいのです。即断即決が重要ではありません。段階を踏んで着実に行動した方が成功しやすいのです。

何も自力でやるのが偉いわけではありません。友達や仲間の力を借りるのもいいことです。

たとえ上手くいかなくても「今回は残念だったね。次こそ上手くできるよ」という友達や仲間からの承認の言葉があれば、「次こそ上手くやろう」とチャレンジできます。

上手くできると、成功体験を手に入れることができます。そうした試行錯誤の末に自信がつくのです。

つまり、場数を踏むことで自信を身に着けられて「自分で決めることができる」のです。

親や家族からの承認をあてにすることもないでしょう。家族関係も大事ですが、ときには家族の外の世界に出かけて、友達や仲間を作って試行錯誤をして自信を深める経験をしていきましょう。

このように考えると、機能不全家族で育ったとしても、自分自身の幸福を見つけて手に入れることができると感じられるかもしれません。

あなたが試行錯誤をするときに邪魔になるのは「不条理な思い込み」かもしれません。

つまり「悲観的思考」というネガティブ思考、決めつけ思考が強いと、自由に行動できないからです。

どうもすんなり行動ができないとお悩みなら、次のページをぜひお読みください。

アダルトチルドレンを克服するために「不条理な思い込み」を捨てよう
アダルトチルドレンの生きづらさの原因には「悲観的思考」「決めつけ」があります。それらの背景には3つの不条理な思い込み「私は誰からも認められなければならない」「私は何事も完璧でなければならない」「人生は自分の思いどおりに進まなくてはならない」があり、これらの思い込みを解消してアダルトチルドレンを克服しましょう。

米国催眠士協会認定心理セラピスト

わたなべいさお

 

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