苦しんでいる方は、自分自身がいかに苦しいかを、誰かに聴いてもらいたいと願っています。
苦しい胸のうちを誰かに話したい。
そういう想いは、誰だって持っています。
また「悩みをしっかり聴いてもらえば、良くなるよ」とも言われますよね。
「あそこのクリニックは、話を聴いてくれるらしいよ」と、友人からとある心療内科を薦めてくれたりもします。
しかしながら、最後まで話を聴いてもらえば悩みは解消されるとは限らないのです。
人は、悩みを繰り返し話することで、悩みが深まるからです。
自分が語るストーリーに、人は同一化するからです。
人は「自分が話した内容」を自分のものにしてしまうからです。
「私は親のことで悩んでいます。それはこんなことがあって、、、」
といった具合に何度も話をすることで「親のことで悩んでいる私」というのが固まってしまうのです。
もちろん悩んでいる人が「悩み」を話して、誰かに聴いてもらうのは大切なことです。
しかし、くりかえし「私は悩んでいるんです」と語れば語るほど、悩みのストーリーから抜け出せなくなるのです。
つまり、ずっと思い悩むことになるのです。
ここで「占い」について触れていきます。
もしあなたが恋愛や仕事、家族の悩みで「占い」に足繁く通っておられるならば、「悩みを聴いてもらいたい」想いで胸がいっぱいだからでしょう。
「占い」は話を聴いてもらう場所として、身近なものです。
確かに占い師に会って、悩みを話すことで、気持ちはすっきりしますよね。
しかし、占いが終ると、だんだんと不安や悲しみを感じてきませんか?
だから、また再び占ってもらいます。
けれど、悲しみや不安は解消されず、何度も占いの所へ行くことになりませんか?
どうしてそうなるのでしょうか?
それは先ほど述べた通りです。
人は自分が話をする内容と同一化してしまうからです。
自分が語る「悲しみのストーリー」を、自分のものにしてしまうのです。
よって占いで、悲しみや不安などを語れば語るほど、「私は悲しい人だ」「私には不安がある」という想いが固まっていくのです。
つまり、悩みを何度も話をすることには、そうした懸念があるのです。
これは占いだけではありません。
カウンセリングも同じなんです。
カウンセリングが始まる前に「今日は、どんな悩みを解決しますか?」とカウンセラーに聞かれます。
そのたびに相談者さんの立場は「悩んでいる人」として固まってしまうのです。
つまり、
- カウンセラーは「悩みを解決する人」
- 相談者さんは「悩みを抱えている人」
という図式が固定化されるのです。
そして、相談者さんは何度も悩みを語ります。
語るにつれ、相談者さんは「私は悩んでいる人だ」という想いを自分の中に固めてしまいます。
こうして相談者は「悩みのストーリー」にすっかり染まってしまうのです。
どうしてでしょうか?
それはカウンセリングをする度に「今日はどんな悩みを解決しますか?」と聞かれることで、
そしてまた何度も悩みのストーリーを「語ってしまう」からです。
語ってしまうことで「私は悩んでる人」というセルフイメージが固定化するからです。
つまり「占い」でも「カウンセリング」でも、同様の懸念があるのです。
よく言われることに「悩みは誰かに共感されたら良いんだ」というのがあります。
しかし、共感だけでは悩みは解決しないのです。
「大変でしたね」と聴き手に共感されたら、その時は嬉しいものです。
けれど、「占い師」「カウンセラー」から離れると、だんだん悩んでいる人に戻ってしまう。
やはり「悩んでいる人」から抜け出す手立てが必要なのです。
それには、ただ話を聴いてもらうだけでは不十分です。
共感だけでは、物足りないのです。
ですから、「悩み」から切り離されていく。
「悩んでいる私」が変化していく。
そうした手立てが相談者には必要です。
私自身、悩みがしつこくて、誰かに話を聴いてもらいたくて、占いやカウンセリング、セラピーに足繁く通いました。
しかしながら、悩みはかえって「しつこく」なるばかりでした。
悩みが私の頭から離れず、苦悩は深まりました。
これは占い師さんやカウンセラー、セラピストに問題があるのではなくて、「悩みは、しっかり聴いてもらって共感されると解決する」という考えが間違っているのです。
私は今まで、あらゆる所で、悩みを打ち明けてきました。
占い師、カウンセラー、セラピスト、あらゆる人に話を聴いてもらいました。
だからこそ、悩んでいる人が何を求めているか、よく理解しています。
こうした「悩んでいる人」の経験を活かして、今日もセラピーに取り組んでいます。
親子関係で悩んでいる方のために「心の痛みにしっかり優しくとどくセラピー」を実践しています。その内容はこちらでお伝えをしています。
米国催眠士協会認定ヒプノセラピスト
わたなべいさお
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