「何をしても満たされない」
「自分がわからない」
「自分は何を望んでいるんだろう? わからない」
・・・だから自分をどのように出せばいいかわからないので、自分を抑えてしまう。なので、ますます本当の自分がわからない。
あなたも、そう思い悩んでいますか? あるいは、
「こんな自分を認めることができない。だから本当の自分を知りたい」
「自信がないから『これが私だ』って思えないのかな?」
「だったら自信を持ちたい。自己肯定感を高めたい」
「自信がないから、周囲の人たちに合わせてばかり。なので人づきあいで疲れてしまう」
・・・「やっぱり本当の自分になれたらな」と、考えてしまう。
「本当の自分を知りたくて、仕事を変えてみた。転職をしてみた。けれど相変わらずだ。
いつも同僚の顔色を見ながら仕事をしてしまう。そんな自分が嫌いだ」
「だから本当の自分を探すのだが、上手くいかない」
このように悩む人は多いものです。あなただけではありません。
では、どうすれば「本当の自分」を知ることができるでしょうか?
まずはお伝えしておきたいことがあります。
「本当の自分」を探そうとすると悩みは深まります。
どうして、そういえるのでしょうか?
そしてまた、本当の自分がわからないことの苦しみから、どうすれば抜け出せるでしょうか?
このことを次から、わかりやすく解説していきます。
本当の自分を探そうとすると自由度が低くなる
「本当の自分」と対になっているのは「偽りの自分」となるでしょう。
「自信のある自分」の正反対なのが「自信のない自分」です。
「自己肯定感のある自分」の対になっているのが「自己否定感が強い自分」でしょう。
このように、言葉には、正反対の意味をなす言葉が存在します。
「本当の自分」「偽りの自分」
「自信のある自分」「自信のない自分」
「自己肯定感のある自分」「自己否定感が強い自分」
このように正反対の意味の言葉が対立していますよね。
そういう正反対の意味の言葉が対立している状態のことを二項対立といいます。
人は、二項対立に囚われると、身動きが取れなくなります。思考停止状態になるからです。
日常生活において、こんな二項対立で悩んだりしませんか?
「成功したいけど、失敗だけはしたくない」
「ダイエットしたいけど、深夜のラーメンはやめたくない」
「資格を取りたいけど、勉強したくない」
こんな具合に、正反対の考え・感情にさいなまれることはありませんか?
そんな二項対立に考えが囚われている時、「ああでもない。こうでもない」と身動きが取れなくなって行動できなくなるものです。
つまり二項対立に思考が囚われると、自由度が低下するのです。
「本当の自分」を模索するたびに「偽りの自分」をひしひしと感じてしまう。
つまり、本当の自分を求めると、「本当の自分」「偽りの自分」という二項対立に囚われ、やがては自由度が低下することになります。
あなたは「本当の自分」を知らないから苦しいのではありません。
「本当の自分」と「偽りの自分」という二項対立にはまってしまい身動きが取れなくなっているから苦しいのです。
「こんな自分だったらいいのに」「こんな自分は認められない」といった正反対の考えが頭の中で衝突するのは、とっても苦しいことです。葛藤を感じて、身動きが取れなくなるから。
こうした正反対の考え・感情の対立にさいなまれることで、苦悩してしまうのは私たちにはよくあることです。
でも、それになかなか気づけないものです。なぜなら二項対立の片側の考え・感情にこそ価値があると強く思い込んでいるからです。
「こんな自分ってダメだ」「本当の自分は良いものだ」と思い込んでいると、なにがなんでも「本当の自分」になろうとする。よって葛藤が始まり、おのずと苦しんでしまう。
けれど、「本当の自分」を模索するのは良いことだと思いこんでるので、苦しんでいる理由に気づけない。
ですから思考の二項対立に囚われていることに気づくべきなのです。
それでも本当の自分を知りたいと思われるなら、次の章をお読みください。
いろんな自分を認めよう
ある男性をあなたにご紹介しましょう。
その男性は、娘さんがおひとりいて、妻と子の3人暮らしです。
会社にご勤務されていて、役職は営業部第三課の課長です。
休みの日は、地域の少年野球チームで監督をしています。
この男性はお酒がお好きで、会社帰りに近所の焼き鳥屋さんに行くのです。そこではなじみのお客さんと意気投合されています。店長との会話も楽しんでおられます。
この男性は両親がご健在で、きょうだいは妹さんがおられます。暇があればクルマを走らせて、親御さんや妹さんのご家族に会いに行くのです。
「いつも親が世話になっております」と、ご近所の方や、妹さんのご家族への挨拶をかかせません。
・・・さて、この男性の「本当の姿」とはなんでしょうか?
娘さんから見れば「優しいお父さん」でしょうし、「よく働く主人」なのが妻から見た姿でしょう。
もちろん夫婦関係に波風はつきもの。「怒りっぽいお父さん」「優しくない主人」という姿もあることでしょう。
会社では「後輩に親切な課長」さんなのです。社長から見れば「もうちょっと頑張って欲しい人」として見られています。
先輩社員からすれば「もっと効率的に働いてほしい人」として見られています。
少年野球チームでは「おやじギャグが好きな監督さん」として見られています。
焼き鳥屋さんでは「愚痴の多い人」として見られています。もしくは「周囲の人に気遣いながらお酒をたしなむ人」「会話の好きな人」として見ている人もいます。
「しっかり者の息子」として両親から思われていますし、「心配性の兄」として妹さんは見ています。
両親のご近所の方や、妹さんのご家族からは「とっても礼儀正しい人」「真面目な人」として見られています。
ではこの男性にとっての本当の自分とはなんでしょうか? その通り、ひとつに絞ることは無理なのです。
さらにいえば、他人からの評価のすべてがこの男性を言い表しています。
つまり「自分」とはあらゆる人間関係の結び目に存在しているのです。
物事はそれ単独で存在できません。あらゆる存在との関係があってはじめて存在できるのです。
たとえばここにペットボトルがあったとしましょう。
このペットボトルが「自分はペットボトルだ」と主張できるためには、他の物を引き合いに出さないと自分の存在を証明できません。
「ペットボトルって、この机とはちがうのです。このボールペンとはちがうのです」と他の存在をもってこないと自己を証明できません。
ですから「あなた」を証明するのは、他の人たちを引き合いに出さないと説明できないのです。
すなわち、あなた単独では「あなた」のことを証明できないのです。あなたはいろんな人間関係との結び目に存在しているのですから。
ということは「あなた」と「他の人たち」との関係の数だけ「あなた」は存在していると言えるのです。
とても「これが本当の自分だ」とひとつに絞ることはできません。
「あなた」というのは人間関係の数だけあるし、状況の数だけあるのですから、本当の私はコレだ、と指し示すことは不可能なのです。
この男性からすれば、先輩社員から見た「自分」も確かにそうだし、妹さんから見た「自分」も確かに自分なのです。
ひとりの人間には、いろんな自分がいます。
辛い状況の時に、泣いてしまう自分も確かにあります。
人に気を使って疲れてしまう自分もいます。
弱音を吐けずに、ぐっと我慢してしまう自分もいます。
ときには人に優しい自分もある。
その場を盛り上げるユーモアのセンスが光る自分でいられるときもあります。
つまり、自分にはいろんな自分がいるのです。
自分自身とは、「本当の自分」「偽りの自分」といった二分法で表現できる存在ではないはずです。
自分の中には多様な「私」がいることに気づいて、そうした多様な「私」を認めることが大切なのです。
いろんな自分を認めることで、苦しみはずいぶん和らぎます。
本当の私を見つけられずに悩んでいたら、さまざまな自分のスタイルを認めてあげましょう。そうすることで「こんな自分はダメなんだ。こんな自分になりたいんだ」といった二分法から生み出される葛藤から解放されるでしょう。
とてもじゃないですが「本当の自分・偽りの自分」「自信のなる自分・自信のない自分」「自己評価の高い自分・自己評価の低い自分」という二分法でかんたんに表現できるあなたではないはずです。
自分にとって都合のよくない自分も「本当の自分」なのです。いろんなあなたがいる。そのすべての「あなた」が本当の自分なのです。
そうと認めず「こんな自分なんて認められない。これが理想の自分だ」と決めてかかれば、白黒思考の完璧主義者になってしまうことでしょう。
これはダメだ。こんな自分でなければいけない、と白黒思考にとらわれると、ダメな自分をできるだけ隠して、理想の自分しか認められなくなる。そうなれば完璧主義におちいって新たな悩みをかかえることになります。
だったらすべての自分を認めることで、ずいぶん楽になるでしょう。リラックスして楽になるほど、あなたに魅力が増してきます。より自分のことを好きになり、愛することができるでしょう。
今の自分を認められないならば
いろんなあなたを認めようと、私はいいました。
すなわち「こんな自分はイヤだ。こんな自分になりたい。けれど理想の自分になれない」と、ジタバタしている自分もあなたなんですよ、と言いたいのです。
現実の自分と理想の自分に振り回されながら、葛藤している自分もあなたなのです。
「こんな自分なんて情けない」と地面を見つめながら、とぼとぼ歩いている自分も自分なのです。
大好きな人に、ふられてしまった自分も、あなたなのです。
努力しても報われない、終わりの見えない仕事に取り組んでいる自分もあなたなのです。
大切な人とのコミュニケーションがうまくいかず、歯がゆい思いをしている自分もあなたなのです。
なぜなら、艱難辛苦に苦しんだ果てに、今の自分があるから。
ダメな自分に情けない想いをしているところを通り抜けることで、今の自分があるから。
自分を苦しめる状況を切り抜けたことで、今の自分があるから。
だから、たとえ嫌な自分であっても、それはあなた自身なのです。
苦しい状況に悶々としている自分もあなたにちがいありません。
だから、マイナスに思える自分であっても、それはあなたなのです。
今までの、あなたのすべての姿が、本当の自分なのです。
マイナスのように思えるあなたの一部は、プラスを生むための種になることはおおいにありえるのです。
けれど、あなたはこう思うかも知れない。
「嫌な自分も本当の自分だなんて。そうは思えない」
でも、そんな嫌な自分を乗り越えたからこそ、今の自分があるのだから、嫌な自分も今のあなたにとって欠かせないリソースなのです。
だからこそ、嫌な自分も本当の自分として認めてあげよう。
自分のことが情けない人間だと思えても、そんな自分が相棒のように思えたなら、きっと未来においてあなたはこう思うだろう。
あの時の自分があればこそ、今の自分がある、と。
そのためにも、まずは今の自分を認めることなのです。
「認めることなんてできないよ」・・・と、あなたはそう思いますか?
ですから、「ある課題」をあなたはクリアする必要があるでしょう。
その課題とは、たとえ今の自分を認められず、苦しい状況に悶々としていたとしても、現実を変化させていく方法を見つけること、です。
今の現状に変化をつくっていきたい。そして自分を変えたいとあなたは思いますか?
でしたら、今のあなたを変えるためのご相談窓口をこちらに用意しています。
ご相談窓口はこちらのページにあります。
まずは、ご相談窓口への案内の文章をお読みください。
米国催眠士協会認定ヒプノセラピスト
わたなべいさお
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