家族の悩みは、私たちを振り回します。
親や親戚たちは次々と問題を起こし、あまつさえ問題の後始末を子どもが担うことになれば、私たちはたちまち疲弊してしまいます。
それでも「私がなんとかしなければ」と、問題解決に走り回ってしまう。
けれど、そんな私の気苦労なんて家族は気にも留めてくれない。
とてもやるせないですよね。
だからこの気持ちを誰かに分かってもらいたい。
そこで身近な人に相談します。けれど、なかなか理解されない経験ってありませんか?
それは、どうしてなのでしょうか?
アドバイスが「しっくりこない」理由とは?
「この人なら分かってもらえるかな」と、思い切って親子関係の悩みを打ち明けたとしましょう。
しかし、このような言葉が返ってくることがあります。
「そうは言っても、親なんだから仲良くしたら?」
「それだけ、親はあなたのことを思っているのよ」
「それが親というものよ」
「あなたも親になればわかるわよ」
このように逆に親の立場を理解するように言われたら、私たちはとても寂しく思います。
昨今、家族愛や家族の絆の価値がますます高くなっています。
なので、親の悩みを吐露するものならば、こっちが「悪者」になってしまう。
親の悩みを打ち明けると、たしなめられたり、道徳を説かれたり……。
そうかと思えば、こんなアドバイスが返ってきたりします。
「そんな毒親なんか縁を切ってしまえ!」
「家を出たらいいんだよ」
けれど家を出るだけで、解決できるとは限りません。
もちろん身の危険を避けるために家を出ることは大切です。
しかし家を出て独り暮らしを始めても、毎日のように電話の着信があったり、勝手に家に押しかけられたりと、親からの「つきまとい」があれば悩みはさらに深まります。
また、たとえ親との縁を断ち切ったとしても、過去の記憶がいつまでも思い出されて苦悩が続くことがあります。
親にされたこと、あのときの出来事、言われた言葉。
言い返せなかった自分。
苦しみを分かってくれなかった親戚たち。きょうだいたち……。
このしつこい悩みを誰かに打ち明けたい。吐き出したい。
けれど、返ってくるアドバイスとは「親ってそんなものよ」「あなたも親になれば分かるよ」とか、「家を出たらいいのでは?」と、なんだかもどかしいものです。
では、「親子関係の悩み」に対するアドバイスって、どうして、こうもしっくりこないのでしょうか?
それには理由があります。
アドバイスとは、他人の意見だからです。
誰かがあなたに伝えるアドバイスとは、その人の意見に過ぎないのです。
ましてや人にはそれぞれ家族について一家言を持っているものです。
つまり、人には「家族」についての独自な意見があるのです。
その人の独特の考え――独自の意見をアドバイスとして返されるわけです。
それだからこそ、いくらアドバイスされても「なんだか、しっくりこない」となるのです。
日本には何百万という数の世帯があります。
それだけの数の「家族」が存在しています。
つまり「家族」とは何百万通りもあるのです。
そしてまた「親の悩み」も何百万通りあるわけです。
あなたの親子関係の悩みとは、あなた固有のものと言えるでしょう。
悩みとは、悩んでいる人にとっての固有の事情・状況によって生じます。
家族の悩みを一般化することは到底できません。
ですから、自分自身の家族を基準にして、他の人の家族の悩みに意見するのは、適切ではないでしょう。
ある人が「どんなことがあっても、子どもは親の面倒をするべきだ。家族は仲良くあらねばならない」と信じていたとしましょう。
では、この信念を他の家族にそのまま適用できるでしょうか。
いいえ。できるものではありません。
これまでの親と子の関係の経緯を知らないのに、「親子は仲良くすべきだ」と断言すべきではないでしょう。
家族の悩みを打ち明けて、返ってくるアドバイスが「しっくりこない」「納得できない」ならば、それは自然な感想だと思います。
私たちは思います。
「どうして私の苦しみを理解してくれないのか?」
分かってくれないことに、ときに怒りをぶつけてしまうことさえあります。
「どうして私ばっかり親の問題の処理をしないといけないのか」
「私がいないと家族がまとまらない。そんなのおかしいよ」
「こんにも私が気を使っているのに。どうして分かってくれないのか!」
このように周囲の理解のなさに腹を立てることがあります。
「私はここまで頑張っているのに。どうしてみんな平気なの!」と、苛立ちで心は掻きむしられます。
そこへ「親の気持ちも分かってあげたら?」と他人から意見されたら、「なにも分からないくせに! えらそうに!」と、憤ってしまう。
私自身もそんな憤怒にかられること、しばしばでした。
これは性格の問題でしょうか?
いいえ。違います。これは子ども時代からの生育歴のなかで、たくさん傷ついてきたからです。
「もっと、分かってほしかった」
「私のことを大切にしてほしかった」
「私の望みを受け入れてほしかった」
そのような子ども時代からある「わかって欲しかった」「大切にされたかった」という想い。
この想いを心の奥底に閉じ込めて大人になった方が、ある問題の解決に邁進して疲れ果てたとき……。
一気に抑え込んだ感情が怒りとして湧き上がってくることがあります。
「どうして、みんは私のことを分かってくれないの。こんなに苦しい想いをしているのに」と。
つまり、今のとめどなく湧き上がる憤怒の背景には、子どもの時から抑え込んできた深い悲しみがあるかも知れないのです。
大きな怒りの奥には、深い悲しみがあります。
そのような子どもの時から抑えてきた感情について、他人は知る由もありません。
他人はあなたのことを深く知ってはいないのです。
ですから表面的で個人的なアドバイスしか出来ないのです。
どうして、あなたがそこまで家族のことで悩み抜いているのか? その背景を汲みとり、知りぬいた上で他人はあなたにアドバイスしているのではありません。
それだからこそ、あなたの「家族の悩み」への他人からのアドバイスや意見は「しっくりこない」のです。
「どうして誰も私の気持ちをわかってくれないの?」と。
しかしながら、そうは言っても自分ひとりで悩みを抱えないで欲しいのです。
親子関係の悩みはこじれると、さらにこじれてしまいます。
ですから、ご自身の胸のうちにため込まないで、セラピーで解消していく道を知ってほしいのです。
どうか、しんどければ私まで話をしてください。
セラピーの内容についてはこちらをご覧ください。
コメント