機能不全家族の末路について「家族の特徴」にふれながら解説していきます。
おたがいを縛りあう機能不全家族
あなたは、家族にどんなことを望んでいますか?
あなたが望んでいることは、家族によって満たされていますか?
機能不全家族では、家族のそれぞれが必要としていることが満たされません。ですから家族たちは、いつも失望しています。
家族のメンバーが家族生活のなかで望んでいることは、以下のものがあります。
- 「養育」
- 「安全性」
- 「安心感」
- 「安らぎ」
- 「愛情」
- 「人として大切にされて尊重される」
- 「自尊心」
- 「成長」
- 「自立して生きるためのスキル」
- 「理解されること」
・・・これらのことを家族のメンバーは望んでいるのです。
家族のメンバー同士が、必要なことを満たしていくならば、家庭は機能します。
しかし、満たすことが出来ないならば、家族はどうなるでしょうか?
家族は離散すると思いますか?
「親はいつも暴言を吐いている」「親同士、いつも喧嘩ばかりしている」「こんな安らぎのない家なんか出て行ってやる」といった具合に、家族は家を飛び出してバラバラになると思いますか?
いいえ。そうはならないのです。離散してバラバラになるどころか、機能不全家族はかえって結びつきが強くなるのです。
なぜなら家族同士がおたがいを縛りあうのが機能不全家族だから。
たとえば、お兄さんは、弟が父親から虐待されるという恐怖によって、家族に縛られています。
母親は、娘の欠点を見つけて口出しすることに没頭しています。母親は娘の行動にいちいち干渉することで、娘を縛りつけます。
お兄さんは、妹に暴力をふるうので、兄の態度に妹はいつもビクビクしています。
息子は、折檻をくりかえす母親を怖がって身動きが取れなくなっています。
父親は、母親に暴力をふるいます。父親の暴力を見せつけられる子どもたちは暴力という恐怖に心が縛られます。
飲酒・借金・ギャンブル依存・浮気・暴力など、ある家族が抱えている「問題」に他の家族はいつも翻弄されています。
両親の不仲のせいで、子どもたちは親の機嫌に右往左往しています。よって親の行為態度に子どもたちの意識は縛りつけられます。
こうした「家族の問題」は、周囲にばれてはいけない「家族の秘密」として見なされます。ですから問題は解決されません。なので家族は「問題」に縛られ続けます。
すなわち、家族同士がたがいを縛りつけあう状態へと至るのが機能不全家族の末路なのです。
それでも家族から抜け出して、独り暮らしをしてみても、親は実家を出て行った娘・息子に干渉するのです。
娘・息子の一人暮らしをしている家に上がり込んだり、毎日のように電話をかけたりする親は少なくありません。親は、子どもにいつまでも関わりたいので、子どもの親離れを良く思いません。
結婚をしても「いつ孫ができるのだ」と、親は子どもの結婚生活に口出しをします。
「ちゃんと息子の世話をしてね」と、電話で指示を出す義理のお母さんがいます。
孫ができても「私が孫を育てる。私は子育てを間違ったから、孫を育てることで子育てをやりなおす」と言いだす母親が実際おられました。
実家を出た娘・息子も、いつまでも両親のことが心配になったりします。
「私が家にいなくなっても両親は仲良くやってくれるかどうか心配だ」といった具合に、娘・息子は両親のことが頭から離れないのです。
親と距離を置いても、いつも「親の問題」ばかり考えてしまう。
ひとり暮らしのアパートで、「私は親に大切の育てられなかった」と、親への恨み・怒りが止まらず苦しんでいる人がいます。
・実家を出て行った娘・息子をいつまでも心配して、干渉してしまう親がいます。
・家族から離れて暮らしていても、ずっと親の事ばかり考えてしまう娘・息子がいます。
ことほどさように、機能不全家族とは、どこまでも、いつまでも家族同士が縛りあうし、結びつきを強めるのです。
たとえ実家を出て、親から距離を置いても、ずっと親のことを考えてしまう。あるいは、ひとり暮らしをしている部屋に親がやってくる。親が結婚生活に干渉してくる。
・・・といった具合に、いつまでも、どこまでも家族が他の家族を縛りつけるのが機能不全家族なのです。
「家族」終焉のとき
おたがいを縛りあう、結びつきを強める機能不全家族にも終焉のときが来ます。
年老いて社会の第一線を離れた父親。同じく高齢者になった母親。
「家族」が終りつつある頃、今まで自分がもっていた親へのイメージとはまったく違う親があなたの目の前にいることでしょう。
今までだったら「もっと、こうしてよ!」と親に要求することができました。「ちゃんとしてほしい」と期待することもできました。しかし年老いた親を目の前にして気づくのです。「もう親に要求しても何もならない。期待しても仕方がない」と。
仕事を辞めて家で過ごしている年老いた父親に対して、今までのような期待をしても無駄のように思えます。
あれだけ気の強かった母親は、高齢になり、要介護状態になりつつあるかも知れません。母親に要求しても、こたえてもらえません。
「どうして、私を大切にしてくれなかったの!」と高齢の親たちに訴えたとしても、手ごたえを感じられるような返答は期待できないのです。
むしろ親の方が「子ども」みたいになって、娘・息子に頼ってくるかも知れません。
親が病弱になり、要介護状態になれば、子どもが親の世話をしなければならなくなります。
「親の介護なんかしなくてもいい」・・・よく言われるアドバイスですよね。
しかしながら、この国では親の面倒をみるのは娘であり息子なのです。
この国の介護は、家族介護が前提にあるからです。
親を病院・介護サービス・介護施設につなげる時、たいていの場合、それらの申込書には家族の署名が必要になります。
申し込み書には、必ず「続柄」を書かされます。
親の面倒は、娘・息子がやらないといけない・・・そんなシステムを嫌というほど味わうのが「続柄」の欄に「子」と記入させられる時だったりします。
機能不全家族で育った娘・息子たちは、「子」と記入する時に何を感じるでしょうか。
私の経験にこんなエピソードがあります。母親の入院にあたって申込書に「続柄」を書くのです。そこに「子」といつものように記入したら「長男ですか。次男ですか。明確にしてください」と病院側から要請されたのです。
この国では、個人として生きられず、家族のメンバーの一員として生きなければならないことを痛感しました。
さて、親の面倒や親孝行は、どうしてできるのでしょう。
それは「自分は子どもの頃、若い頃、親の世話になった。だから今度は恩返しをしよう」という気持ちがあればこそ、親孝行ができるのでしょう。
しかし機能不全家族で育った子どもたちは、そうした気持ちになれるでしょうか。とてもじゃないけど恩返しする気持ちになれない。
けれど、親の面倒や介護をしなければならない。そうなれば、子どもたちの心にどんな想いが去来するでしょうか。
よくこんなことが言われます。「そんな親なんか絶縁すればいい」と。しかし、それは難しいのです。
今まで述べてきた通り、家族同士が縛りあう機能不全家族において、親から離れるのは難しいからです。
あまつさえ、こんな暗黙のルールが機能不全家族にあるわけです。
「家を出てはいけない」
こうした暗黙のルールによって娘・息子は「家族や親」に縛られるのです。
そして、そんな家族にも終焉のときがやってきます。
親と疎遠になっている娘・息子にとって、親の看取りについて思い悩むかも知れません。
「あんな憎い親に会いたくない。けれど、看取りくらいはすべきなのか? 葬儀には出るべきなのか?」
「家族」終焉の際においてさえも、家族のことで心が縛られるのが機能不全家族なのです。
ここまで読んで頂いて、どう思われましたか?
「いつまでも親・実家に縛られるのか」と、思われたかも知れません。
しかしながら、最近の私は「そうでもない場合もあるのでは?」と、考えているのです。
もし、あなたが家族・親から縛られていることに疲れた、しんどい想いをされていたら、ご相談に応じますのでご連絡ください。
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心理セラピスト
わたなべいさお
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