ある女性がこんなことを私に話してくれた。
「高齢の父親が、レスパイトケアから戻ってくるのです」
「父親が、レスパイトケアに行ってくれている間だけ、私は自由なんです」
「また、介護が始まると思うと憂鬱なんです」
介護施設から父親が戻って来ることは、在宅介護がまた始まるわけだから、「嬉しくない」とのことだった。
施設から親が戻ってきて、ふたたび一緒に暮らせるのは良いことではないのか? と考える人からすれば、この話はどのように感じるだろうか。
私も経験してきた在宅介護。この女性の本音に私はとても共感できる。
在宅での親の介護を「うんざり」に感じるのは仕方がないことだ。
なぜなら、まずもって日本の住宅は狭小だから。介護をしながら自分の生活をいとなめるほど、日本の住宅は広々としていない。
そして、親の介護を家族がやるのは無理がある。
自分の家族の面倒や仕事をしながら、介護をするのは大変なことだ。
誰かをケアするには、自分自身もケアされないとできない。けれど、親の介護をしている人はたいてい、自分自身のケアはおろそかになる。
だから知らぬ間に疲れて果ててしまう。
介護施設に親を預けても、事情はあんまり変わらない。
施設に入れるたびに膨大な書類を書かされるし、市役所からも介護関係の手続きを求める用紙が、どんどん送られてくる。
たいていの老健は3カ月しか入所できない。なので3カ月ごとに新しい施設のために手続きをしなければならない。
病院や老健では、医師やスタッフとのカンファレンスがある。そのたびに仕事を休んで出席する必要が出てくるかも知れない。
特養に入所するためには、何ページもある申請書類を用意して、複数の特養に申し込みにいかないといけない。
そのたびに特養からの説明を聞かないといけない。
お金の工面も大変だ。親の預貯金をあてにできればいいだろう。しかし親の預貯金を家族といえども勝手に引き出しするのは難しい場合がある。定期預金をおろすのは、さらに難しいかも知れない。なので金融機関に相談する必要がある。
親の生命保険を解約して、介護費用を工面しようにも、生命保険を解約するのは難しい。
以上述べただけでも、親の介護には膨大で煩雑なやりとりが必要だ。
しかも、そういう手続きや相談は平日しかやっていないのがほとんどだ。
だから仕事をしている人は大変で、親の介護のために平日を休んで、やりくりしないといけない。
よく「親の介護なんかしなくてもいい」と、いわれる。私もそう思う。
親の介護は家族ではなくて、社会で行うべきだと、私も介護経験者として思う。
しかし社会は、そういうふうにはできていない。
ましてやこの国では、親の介護は、娘・息子がするのが当然のようにいわれる。
この国は、家族介護が当たり前であって、病院も地域包括支援センターも親の介護から逃げたい娘・息子の気持ちを理解してくれるとは言い難い。
介護から逃れたい娘・息子の頼みの綱のひとつに介護保険サービスがあるだろう。
しかし介護保険サービスのメニューを見てみても、欲しいサービスがないのだ。
家族の本音をいえば、親を家の外に連れ出してくれて、その間、家族はゆっくり休みたい。しかし、そんな家族の心情を満たしてくれる介護サービスはないのだ。結局は、在宅介護が強いられるのだ。
とりわけ認知症の介護に役立つサービスは見当たらない。
夜間、ヘルパーさんは家に来てくれるかどうか? おそらく人手不足などで難しいだろう。だから夜間に、困ったことが起きると家族で対応しないといけない。
要介護度が低いと、受けることができるサービスは限られる。
要介護度が高くなると、こんどは利用料金が高くなる。
ケアマネやヘルパーさんとの相性が悪いと、これも悩ましい。
今まで書いてきた介護事情は、あまり知られていない。経験してみて初めてわかることばかりだ。
親の介護ができるのは、どういう気持ちであれば、それは可能か?
「自分は若い頃、親のお世話になった。だから親の面倒をみてやりたい」と思えてこそ、親の介護は可能になるだろう。
ならば、親との関係が良くなかった人たちにとって、親の介護はどうしても避けたいはずだ。
ましてや親との関係がなんともなくても、さきほどの女性のように、介護にうんざりしてしまうのだから、親子関係で悩み、苦しんだ人たちにとって、介護は生きづらさをもたらすことだろう。
さらに、自分の親が「毒親」だと感じている人にとって、介護なんて考えたくもないだろう。
家族同士が気遣いあって助け合いができているからこそ、在宅介護は継続することができる。
けれど、助け合いよりも喧嘩ばかりしている家族では、おたがいを気遣う文化がない。
機能不全家族では、話し合いよりも、すぐに喧嘩が始まるものだ。
気遣いや助け合いの気持ちから遠く離れたところにあるのが機能不全家族だ。
機能不全家族で、子どもが介護をするというのは、自己犠牲そのもののように感じてしまう。
両親が不仲で、老後のことをまったく話し合っていないならば、子どもの負担は確実に重くなる。
妻は、旦那の介護なんて考えたくもないし、定年後の旦那は、あいかわらず家族をかえりみない。
私もこれには困った。親たちが協力的でなくて、老後の準備をまったくしていなかったので、しなくてもいいような苦労をしてしまった。
じゃあ、どうしたらいいんだろう?
親の介護は、逃れられないのか。いや、逃げてもいい。そのためには、今、何ができるか考えてもいいと思う。
そして親が若いうちに苦しい家族から離れて、ひとりで暮らそう。
自分がやりたいことを、精一杯やろう。
あなたは今すぐに、やりたいことをやろう。
あなたは家族に気兼ねすることなく、生きたいように生きよう。
今、自由に生きなければ、とてもじゃないが親の介護なんて出来ない。
親の介護をすることは、自分を生きることを確実に制限してしまうのだから。
だから今の時間を自分のために使おう。
あるいは、親にこのように言ってもいいかも知れない(言わなくてもいいから、思うだけでもいいですよ)。
「私は確かにあなたの子どもだ。あなたの人生の問題はあなたに返します。私は自分を生きます。あなたがたの問題は、私のものではありません」と。
どうして、こんなことが言えるのだろう。
親であれ、親戚であれ、他人であれ、あなたに対して「あなたには親の介護をする役割がある」なんてなことは、言ってはいけないことだから。
人に役割を押し付けるのは、人間の平等に反している。「女性だから」「娘だから」「子どもだから」と、役割を担わせるのは、個人の尊厳を踏みにじっている。
親の介護をするかしないかは、私たちが決めればいい。
家族は、助け合わなければいけないという言説がある。
しかし、家族だからといって、仲良くできるとは限らない。親子にも相性というものがあるので、距離を置いた方がうまくいくケースは少なくない。
ましてや親から離れて自分を生きたいという想いはあって当然だ。
介護をしたくなければ、それでいい。介護から逃れるために出来ることを今のうちから始めるのはいいと思う。
親から離れることに、後ろめたさを感じなくてもいい。
介護をしたくないという想いがあってもいい。
まずもって自分の人生を後回しにして、親の世話をするのは、無理なことだから。
親の介護から逃げるために、親が若い間に、ご自身の意見を親に伝えておこう。
毒親ほど、自分自身の問題に向き合いたがらない。だから、あなたに老後の世話を押し付けてくるかもしれない。
だからこそ、今のうちに家族の行く末について、ある程度は、話し合っておくことは必要だ。
あなたの親は「私の介護、やってちょうだいね」と、言ってくるかもしれない。
そうであるならば、「お願いされても困るわ。話し合いもなく、私の意見も聞かないで、介護をお願いしてこないで。介護なんて楽なものじゃないから。すべてを私はできないわ」と、念を押しておこう。
毒親ほど自分の老後を自分の問題にしたがらないから、面倒だけど、話し合いができるなら、その方があなたのためになる。
喧嘩をしたり、議論をする必要はない。あなたご自身の意見を伝える場をつくることができれば、それはあなたの将来を守ることにつながる。
介護から逃げたければ、ある程度は親と向き合いたい。そして「親の介護」についてのあなたの意見や気持ちを、親に対して率直に伝えよう。
年老いた親を入院させる時に、「親の保険証は、どこだ?」と慌てないためにも、ある程度の情報は知っておこう。
心理セラピスト
わたなべいさお
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