私自身、機能不全家族の長男でした。
長男と言っても、私にはきょうだいがいません。
しかし父親が「父」としての役割をまったく果たせない人でした。
ですから私は、親が何か問題を作るたびに、その問題解決に東奔西走してきました。
その度に私は「長男である私」を意識させられたのです。
そのような私が機能不全家族で育った長男さんに捧げる言葉を用意いたしました。
長男さんに捧げる言葉・・・それが以下の4つです。
- つい頑張ろうとしませんか?
- 「私はできません」って言えますか?
- 自己犠牲的に生きていませんか?
- 仲間と共に人生を歩みませんか?
それぞれをもっと深くお伝えしていきますね。
つい頑張ろうとしていませんか?
悩みに直面した時、あなたは「もっと頑張ろう」と思いませんか。
自力で乗り越えようとしていませんか?
誰にも頼らず、自分の力を奮い立たせて、困難を克服しようとしていませんか?
頑張ることで上手くいったならば「良かった」と思えるでしょう。
しかし上手くいなかった時、「もっと頑張らなければ」と過剰にご自身を奮い立たせていませんか?
あるいは「役に立たなかった自分は情けない」とご自身を責めませんか? そしてさらに頑張ろうとするかもしれません。
そうなると人生は、問題や困難に向き合ってばかり、頑張るばかりになるかも知れません。
もちろん問題や困難を乗り越える経験は、とても価値あるものだと思います。
ただ、愉しむことよりも「もうひと頑張りしなければ」と思ってしまうならば、気持ちを休める時間は少なくなるでしょう。
「頑張ろう」「自分の力で打開すべきだ」と考えてばかりだと、人生が味気なく思えるでしょう。
なぜだと思いますか?
問題を解決してばかりだと、問題は消えるかもしれませんが何かを手に入れることにはならないからです。
問題を解決している時、意識はリスクやトラブルに向いています。つまり自分自身の目的・ゴールに意識が向いていませんので、自分のニーズを満たせないのです。よって「頑張っているけど、味気ないな」と感じることが多くなるのです。
人生が味気なく思えると、また「頑張らなきゃ」と自分を駆り立ててしまうでしょう。そうなると、ずっと頑張ってしまいます。
頑張ることが唯一の対応策だとすると「できません」が言えなくなります。
「私はできません」なんて言えない
あなたは「できません」が言えますか?
ひょっとしたら「できません」と言うことで、他人からの評価が落ちるように感じているのかもしれません。そして、自分の価値が下がるように思える。
周囲からの評価が下がることを警戒するあまり、「できません」「知りません」「やったことありません」が言えなくなると、無理をしてまで「できます」「やります」「やってみせます」と言ってしまうでしょう。
周囲の人たちに対して無理をしてしまうと、心のなかは不安でいっぱいになる。けれど「頑張ればなんとかなる」と考えてしまう。
なので、自分を無理に奮い立たせて頑張ってします。たとえ疲れていても。
でも「疲れています」なんて言えません。
だから、ずっと頑張ってしまう。
よって、自己犠牲的に生きてしまう。
自己犠牲的に生きていませんか?
自分を犠牲にして生きるとは、どういうことでしょうか。
それはたとえば、他人が解決すべき問題にまで責任を感じて、「自分が解決しなければ」と思ってしまうことがあげられます。
親の問題、恋人の悩み、同僚がやるべき仕事に対して責任を感じて過剰に首を突っ込んでしまう。
けれど、他人の問題というのは、なかなか解決することができないものです。
なので、とことん辛い想いを経験してしまう。でも「もう無理です」「できません」なんて言えない……なぜなら頑張る自分こそが自分だから。
もう引き返せないのです。
自分自身へのケアを忘れて、他人のために役立つ自分になろうとしていませんか?
周囲の人のために頑張って役に立つことができたら嬉しく思えるでしょう。
けれど、そうならない場合「ああ、自分は役立たずだ」と思います。
気がつけば、自分は常に周囲の誰かのために頑張っているのです。
休みの日も仕事のことで頭がいっぱいです。同僚ことやタスクのことが気になってしまいます。
ひとり暮らしをしていても親のことが心配になります。
ふと気づけば、自分のために休んだり楽しんだりすることが苦手だなと感じることができるかもしれません。
いつも誰かの顔色ばかりが気になるし、他人が自分に言った言葉の意味をさぐろうとしている自分に気づけるかもしれません。
たえず自分が他人にどう思われているか気になるならば、他人からの高評価を待つ生き方になります。
他人から高い評価を得られると、しばらくは嬉しくなれます。しかし、その嬉しさは長続きしません。なので不安感が頭にもたげます。そして、頑張ることでその不安を払いのけようとします。
つまり、結局は頑張ってしまうのです。疲れていても、です。
いつも自分は他人の評価の中にあります。なので他人に甘えることもできないし、悩みを打ち明けることも難しく思えます。なぜなら、そんなことをすれば弱みを見せることになり、自分の評価が下がるように思えるからです。
・・・ここまで書いてきましたけど、すべて私自身の告白です。
仲間と一緒に人生を歩む
私は「機能不全家族の長男」の特徴をお伝えしたいのではありません。
お伝えしたいのは「頑張る人生」をやめませんか? ということです。
頑張ると良い人生が約束されているわけでもないのですから。
清く正しく生きると明るい未来がもたらされるわけありませんから。
今を我慢して献身的に生きると将来が報われるわけでもありませんから。
清く正しくとか、努力とか、倹約とか、勤勉であるとか、そういうのは私たち親の世代の価値観に過ぎません。
親の世代の価値観を浴びて育てられたなら、それって自分を幸せにするのか? ふりかえってみてください。
親の世代の道徳は、自分を頑張らせ我慢させるものばかりです。
そんな道徳は、人に幸せをもたらしません。
私たち長男は、自分自身の欲求やニーズを満たす人生を歩んでもいいのです。
そして自分ひとりで何もかも抱えないで、どうかあなたを支える仲間を作ってください。
仲間に支えられることで頑張るのと、孤独になって頑張るのは、まったくパワーが違いますから。
仲間と共に自分の欲求やニーズを満たしていく、そんな人生のレーンに乗り換えましょう。
ライバルだらけの人生か。仲間と歩む人生か。
他人と張り合う人生か。他人と助け合う人生か。
・・・そうです。もう他人と張り合うことはありません。
あなたに対して他人が張り合ってきても無視しましょう。
あなたを頑張らせる人とは別れましょう。
あなたを指図して言うことを聞かせる人とは、さよならしましょう。
あなたが「頑張っても・頑張らなくても」「できても・できなくても」「役に立っても・役に立たなくても」ありのままの「あなた」を理解して認めてくれる仲間と一緒に人生を歩みましょう。
機能不全家族を生きた長男さんにとって、次の言葉は心の急所を突かれたみたいになり、思わず身構えてしまうのではありませんか?
「頑張る気がないのか?」
「あなたはできない人だ」
「役に立たない人間だ」
・・・でも、これからは、こんなふうに考えてもいいのです。
「どうして、そう言えるのか?」
「どうして私はあなたから、そんなふうに言われなきゃいけないのか?」
私たちは自分のペース、リズムを守って生きてもいいのです。
他人に急かされて生きる必要はないのですから。
自分のために生きていいのですから。
これが機能不全家族をサバイブしてきた長男さんへのメッセージです。
米国催眠士協会認定ヒプノセラピスト
心理セラピスト
わたなべいさお
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